節約が趣味の独身女性・片倉唯、40歳。恋愛、結婚はコスパが悪いのでパスして生きてきた。しかし、無料で受けたがん検診で、余命宣告を受ける。余命、あと1年。唯の胸に湧いたのは恐怖ではなく、不思議な解放感。「死ぬのなら、もう節約なんて必要ない」。そんな唯の前に現れたワケありピンク頭のホスト・瀬名。「お金、貸してくんないかな?」突然の申し出に、72万円で瀬名を”買う”ことに。唯にとって人生初の”無駄遣い”の冒険が始まる。
Netflix映画『余命一年、男をかう』の原作は、2021年第28回島清恋愛文学賞を受賞した吉川トリコの同名小説。柴咲コウ、赤楚衛二の豪華W主演。ドラマ「silent」(2022)「海のはじまり」(2024)などで繊細な心の機微を描いてきた風間太樹が監督を務め、原作の持つ”生きることへのまなざし”を丁寧に映像化した。
予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、Netflix映画『余命一年、男をかう』の風間太樹監督に、本作品やドラマ、映画への思いなどを伺いました。

主人公の個性に寄り添い、観る人に届ける音楽の力
池ノ辺 本作『余命一年、男をかう』は、Netflixさんからこの原作を映画化しませんかという話があったそうですね。
風間 そうですね、はい。
池ノ辺 原作を読んで、これは面白いぞということで引き受けたということでしょうか。
風間 主人公である唯と瀬名の関係が、一体どこに行き着くのだろうということに、まず興味を持ったんです。もちろん物語としてゴールはあるんですけど、2人の関係というのが、既成のものではカテゴライズできない、名付けることのできない関係性だと思えたんです。2人が一緒にいて、とにかく自分たちがよければ構わない、自分たちの関係をなんと呼ぶのか、その名前に固執していない。そこが痛快な感じもしました。特に唯は、自分を律して、自分なりの規律というものを持ちながら、余命宣告の後に、本来自分がやりたかったこと、お金を使ってやってみたかったことにトライしていく。それが愛しく思えて、読み進める楽しさもあったので、引き受けようと思いました。

池ノ辺 監督はNetflixでの仕事は初めてだそうですが、実際一緒にやってみてどうでしたか。
風間 試行錯誤でしたね。劇場映画とかドラマと違う配信映画ということで、新たなジャンルに挑戦したという手応えはありました。
池ノ辺 他の場合と比べて撮影の仕方など違うところはあったんでしょうか。
風間 心構えとしては一緒でしたね。ただ、作品をアウトプットする最終地点、つまり編集や音楽制作などには工夫がいると思いました。
池ノ辺 それはどういうことですか?
風間 配信作品は、映画館という箱の中に入って観るものでもないし、テレビドラマのように決められた時間に流れてくるものでもないですよね。そういう中でいかにこの作品に興味を持ってもらうかというのは、映画やドラマとはまた違った工夫を考えなければならない媒体なんだと感じたんです。その最たるものが音楽でした。
池ノ辺 具体的にはどういった工夫を考えたんですか。
風間 haruka nakamuraさんの音楽で、これまで僕が魅力に感じてきたのは、自然にある音を素材に、たゆたうように人の心情に寄り添い、風景を物語ってくれるような、そんなアンビエントな音楽だったんですけど、この作品においては、より内省的な、唯という人物の個性を際立たせ、それを物語るような音楽というところに寄せていってもらいました。特に、唯のちょっとした傲慢なところとか、いじらしいところとか、頑ななところ、毒っ気のあるところ、そんな彼女の個性を音楽を通した振動として観る人に届けられるようなものにしたい。それは一つの工夫としてありました。
池ノ辺 あえて唯の個性に寄り添った音楽を、というのはどういう意図があるんでしょうか。
風間 これはシナリオ作りのところからあった懸念なんですが、実は僕は、原作を読んで唯に対して、この人のことが100%わかる、という感覚にはならなかったんです。中でも象徴的だったのは、唯が、余命宣告というものに対して、どこか兆しのようなものを持っていて、その宣告を受けたときに、「もう頑張らなくていいんだ」という”赦し”のようにも思って、これで解放される、脱力できる、という方向に捉えますよね。そこに僕は抗いたいと思ってしまう、生きてしまいたいと思っている自分がいる。
池ノ辺 監督はそう思われたんですね。
風間 僕はそう思う、思ってしまうからこそ、この物語のスタート時点で生まれているこの乖離が、本編を通してどのように埋まっていくのだろう、そういう興味でお受けした企画でもあったんです。そして、唯という人のものの考え方、あるいは日々の過ごし方を見たときに、非常に規律のある人物でありながら、とはいえ、ちゃんと美味しいものは食べたいし、自分の趣味であるキルトのためにお金は惜しまない、という弛緩のポイントを持っている。それはつまり、自分が生きたいように生きているということで。そういう自分のセンスに実直で疑いのない感覚が面白い人なんですよね。劇中の音楽というのが、そういう彼女の、一見わからないような、でも理解もできるような、一般化できる要素とそうでない唯特有のキャラクター性を織り交ぜながら、結局はそれを「感情」として伝えるためのものでもあるべきなんじゃないかと思ったんです。音楽では、唯に並走して寄り添い、且つ引力のように個性への興味を牽引するためにどんなことができるか、チャレンジしてみた。そういえるかもしれません。