「映像」によって想起された父との日々
池ノ辺 今回は「記録」「記憶」がテーマということですが、映像ということではお父様の影響があったと伺いました。
坂西 まず僕の父が、ソニーの音楽の会社で、ミュージックビデオなどの監督をしていた坂西伊作という人物で‥‥。
池ノ辺 すごく有名な方なんですよね。
坂西 有名なんです (笑)。その影響で、幼い頃から「映像」というのはすごく身近にあったわけです。撮影の現場にもよく連れていってもらって、実際、父のミュージックビデオに、僕が記憶する限りでは2本出ていて‥‥。
池ノ辺 「未郁も出るぞ」って言われて (笑)。
坂西 そうです、そうです (笑)。で、その時にはなんかこう無意識的に恥ずかしさみたいなものがあって、それは、いい思い出なのか、なんかちょっと嫌な思い出なのか、その間のような記憶でした。撮影現場以外にも編集するようなところに連れていってもらったり、音楽を作る過程みたいなところを見学させてもらったりということがあったんですが、そんな父が、僕が高校生の時に亡くなってしまったんですね。
池ノ辺 そうでしたか。

坂西 父は本当に仕事が好きな人だったので、あまり家にもいなかったし、たぶん職業柄でしょうけど、単純に「朝起きて夜帰ってくる」人ではなくて、昼夜逆転のような生活をしていたんです。それで、自分の中で父の死に決着がつけられないと思った時に、「父が生きてるか生きてないか曖昧にして生きていこう」と決めたんです。そうやって生きてきたんですけど、僕が映画の道に進むというのを決めたところから、「坂西伊作」という名前を聞いた先輩から「このビデオはお父さんが撮ったやつでしょ」とかいろいろ聞くわけです。それで、やはり父と向き合わなければいけないと、そう思う瞬間が来て、僕が出ていたミュージックビデオのことを思い出して、見直したんです。
池ノ辺 何のミュージックビデオだったんですか?
坂西 GAKU-MC (ガクエムシー) というラッパーの方のMVです。そのMVを見直した時に、作品の内容よりも、父との日々とか父との関係性など、言語出来ない感覚が溢れてきたんです。それで、最初に言ったような、スマホの映像が、将来どうなっていくんだろうという興味とともに、たくさんの人が日常に映像が付随した生活をしていて、映像というものから同じ体験ができる、同じ感覚を得られる、そういう時代がきたんじゃないかと思ったんです。
池ノ辺 それは時間も関係するのかもしれませんね。
坂西 それもあるかもしれません。例えば、自分の父親や母親が亡くなったという人で、スマートフォンにその父や母が残した映像が残っている人は多いと思うんです。それを見た時に、言語化できない感情というものが一緒に生まれるんじゃないかなと。それは、文章とか言葉で話すというよりも、映像、つまり映画にした時の方が、より近い体験が得られるんじゃないか。今回、長編にする時に、そういった父と映像との関わり方を反映させたということは言えると思います。
池ノ辺 それはお父様が撮った映像を見ることによって、お父様がどんなふうに仕事をしていたかがわかるようになったということですか。
坂西 父がどういう人だったかというよりも、父との日々が想起された、思い出されたということですかね。自分が蓋をしていたものが溢れ出てくるような、思い出せずにいた記憶が思い出されるような感覚ですね。そうした人間の脳の不思議さということも含めて、この作品を作り上げる時の思いとしてありました。