「記録」と「記憶」
池ノ辺 この作品の生まれるきっかけとしては、スマホの映像だったと思いますが、同時に、「写真」というものも重要なファクターになっていますよね。
坂西 はい。誠の仕事場としての写真館があり、誠はそこで写真を撮る。僕の中では、スマホで撮るというのは、もちろん家族の集まりや旅行先で写真を撮るなどありますが、普通のランチの写真とか動画のような「無意識的に撮ってしまう時間」や「この店に来ました」というような拡張をしていっている感覚があります。一方、写真館に頼むような写真というのは、圧倒的に「撮る」という意識がある瞬間なんですね。例えば、映画の中にもあるように、卒業式とか結婚式のような決定的な時間において、写真によって「記録する」という行為をすごく明瞭にしている気がします。そうした写真から思い出される時間というのは、僕の中では父の映像を見た時と近い感覚があるんです。そのあたりから、「記録」と「記憶」というテーマで脚本を書いていくと、スマホやカメラで無意識的に撮った写真や動画にも、時間が経つと同じようなエネルギーが付随されていくかも知れないと思いました。

池ノ辺 記念写真などは結構時間をかけて撮りますよね。そういうことも関係しているのかどうか、1枚の紙なのにすごく奥行きを感じるんです。この映画ではそういうところも表現されていて、観終わった後にも、余韻が残る。私も何か呼び起こされたんですかね (笑)。
坂西 そうなっていたらいいなと思って作っております (笑)。
池ノ辺 例えば、義理のお父さんと息子がお弁当を食べるというような、何気ない日常的なことが映像としてあって、それはそれでまったりとした感じももちろんあるけれど、同時に、一つの物語以上のものが自分の中で溢れてくるんですよね。自分が今まで生きてきた体験すらも呼び起こしてくれるような感覚です。
坂西 もちろん僕も、映画が大好きなのでいろんな作品を観ますが、やっぱり、その映画を観たことで自分の中で何かが想像させられたとか、呼び起こされたとか、自分の中の何かとリンクしたとか、そういう感覚がすごく好きなんです。特にこの作品はそうしたところを注視して作っています。ですから、あえてわかりやすい時間を切り取るのではなく、些細な時間を描きながらその時間経過の中に余白、つまり想像する余地を多く作っている。そこは観客の皆さんの想像力を信じている部分でもあり、僕自身が映画を見るにあたって想像するという行為が一番好きなことなので、それがこの映画の中でうまく描けたらいいなと思ったわけです。
池ノ辺 この作品は、説明が何もないんですよね。なぜこの人はここにいるのか、とか、なぜ撮っているのかとか。そのうちに人が現れてきて風景が見えて、関わりができてきてストーリーが結びついていく。逆に体験的な感じでした。
坂西 そうなんです。それを一緒に、能動的に観ていただけると嬉しいなと思って意識的にそう作りました。ことなんですね。





