Jul 21, 2017 interview

第3回:20代の駆け出しのころは寝る時間もないくらいに仕事をやってた。

A A
SHARE

池ノ辺

じゃあ、うちの会社に来てから、『南極物語』の次くらいに大変だったのは?

小松

それはやっぱり小滝祥平プロデューサーの作品ですよ。

池ノ辺

数々の映画をプロデュースされているんですけど、注文がとても細かい方なんですよね。

小松

細いし、きつい。

最初に依頼された作品は『ホワイトアウト』(2000)。

これは東宝とヘラルド映画の共同配給だったんですけど、ある人が特報を作った後、東宝とヘラルド映画と小滝さんと、それぞれが予告編のディレクターに頼んで、三社のコンペで決めるとなったんです。

僕はそれまでヘラルド映画と仕事をずっとやっていたからヘラルドから声がかかって参加した。

東宝とはほとんどやったことがなかったんですよね。

池ノ辺

そのコンペの前、私は小松さんが作ったオフラインを見て、「これは勝ったな、取ったな」と思ったの。

そしたら案の定、その通りになった。

というのも小松さんが作った予告編は、得意のアクション押しで、ホワイトアウトという現象が起きたら、雪山がいかに恐ろしくなるのか、そのワーっと天候が襲い掛かってくる恐ろしさをちゃんと予告編で作っていたんだよね。

さっきの蔵原監督の言葉どおりで、すごく壮大な映画の予告編を作っていた。

だから、「勝ったな、うちだな、もらったな」と思ったんだけど、実はそのあとこそが大変だったんだよね。

小松

コンペに際して、ヘラルドの人も、まだ宣伝方針が決まっていないから、とにかくエモーショナルなものを作ってくれとだけ言われて、他はあんまり言ってこなかったんです。

だから、何のしがらみもなく、邦画なんだけど、洋画の予告編のスタイルでやろうと自由に作ったんですね。

それまで、UIP映画のアクション映画をたくさん作っていたので、こう始まって、こう転換してと、ハリウッドのアクション大作のセオリーで構成したんだけど、ただ、洋画に比べると、やっぱり予算が違う分だけ、絵の迫力が弱いところもあるんだけど、でも、そういうところをいかに大きく見せるかの練習もたくさんしてきたので、強い映像で組み立てた。

それが結果、よかったんだと思う。

_DSC6295

池ノ辺

小滝さんはとにかく細やかな注文で知られるけど、それだけ映画に情熱をかけているということなのよね。

すごいのは、今でもその情熱が変わらないこと。

あれはすごい。

普通だったら、予算とか考えて、「じゃあこういう風に作っていきましょう」とか「スポンサーさんがこう言ってますから」とか、安易な方向に流されていきがちで、そうやって妥協するたびに、面白くなくなっちゃうんだけど、小滝さんは「こういう映画を作るんだ」と最初の思いを絶対曲げないから、だから注文が細かくなる。

頑固だから、ときに嫌われることもあるかもしれないけど、スタッフは大変だと思うけど、あのエネルギーはすごいよね。

小松

本当に。

小滝さんはだから、映画を作るたびに、150パーセントの力を使っていると思いますよ。

池ノ辺

ただ、小松さんは小滝さんの注文を聞きすぎて、あるとき倒れたのよね。

小松

うつ病になった。

池ノ辺

なんの作品の時でしたっけ?

小松

『ミッドナイト イーグル』(2007) かな、『亡国のイージス』(2005) のときは大丈夫だったから。

池ノ辺

『亡国のイージス』のときも、倒れそうにはなっていたけど。

小松

その時は、僕はまだ倒れていなくて、『ミッドナイト イーグル』のときに、バカ・ザ・バッカの若い工藤くんにそのあとを頼んだ。

池ノ辺

『南極物語』の社長みたいに押し付けて(笑)。

小松

でも、押し付けきれないですよね。やっぱり、注文はこっちにいろいろ来るから。

池ノ辺

小松さんは体調があるから、早く帰って、夜中に工藤くんが直してたのを覚えている。

その工藤くんは、今やうちの売れっ子ですからねぇ(しみじみ)。