Jul 18, 2017 interview

第2回:僕の予告編を作る基礎となっているのは、フイルムで予告編を作っていたこと。

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season16  vol.02 株式会社バカ・ザ・バッカ 創立メンバー 小松敏和 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」

今回も引き続き、株式会社バカ・ザ・バッカの創立メンバーで、元取締役専務の小松さんをお迎えして、普段、映画ファンの目にはよく触れてはいるけれど、作っている者の存在は決して表に出ない映画予告編の仕事について、迫っていきます

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

小松さんは、アクション系の大作の予告を任されることが多かったわよね。

私は、小松さんの作った予告編を見て、「私はこういうの作れないなあ」って思ったことがいっぱいあった。

それこそ、前回、話したように、「パパはミイラ」みたいなタイトルを付けるセンスもなくて。

でも、私、ちょっと自慢ですけど、小松さんに「僕、こういうのは作れないなあ」って言われたことがあるんです。

それは『トップガン』(1986)のとき。

最初、小松さんがアクション押しの予告編を作ったんだけど、それをみんなで見ていた時、女性の感性の予告編も作ってみたらどうかとなって、それで、小松さんは小松さんでアクション編、私は私で恋愛編を作るとなって、私が作ってきたオフラインを、小松さんがその場で見たのよ。

その時のこと、覚えてない?

小松敏和 (以下、小松)

覚えてないですね。

池ノ辺

で、その時に、「僕はこういうのは作れないなあ」と言ったんだわ。

小松

それはそうだと思う。

それで、TVスポットは全部、「愛は吐息のように」と「デンジャラスゾーン」の挿入歌の2バージョン、たしか、池ノ辺さんが両方やったと思う。

池ノ辺

そのやり取りの時に、小松さんって、何か面白いことをしている人だなと思ったの。

小松

その頃、すでに「池ノ辺事務所」を立ち上げていた?

池ノ辺

まだ。

小松

僕は、池ノ辺さんが現在のバカ・ザ・バッカの前身となる池ノ辺事務所を作って、誘われたとき、ちょうど『アメージングストーリー』を作っている真っ最中だった。

本当はね、前の会社を辞めたときで、ちょっと、仕事は休みたかったんです。

池ノ辺

こないだの定年退職の時もそう言ってたね。

これまでも、何度か、そういうのあったよね。

小松

だって、そういうタイミングのときしかゆっくりできないでしょう。

休みたかったんだけど、映画会社の人にとっては、僕が会社を辞めようと辞めまいと関係なくて、フリーの状態でいいから、『世にも不思議なアメージングストーリー』の特報を作ってくださいとなっちゃった。

池ノ辺

あの時、すんなり辞められたんでしたっけ?

小松

ううん。

9年ほどいた会社だったんだけど、結局、すんなり辞められなくて、『世にも不思議なアメージングストーリー』は池ノ辺事務所で請け負うという話になって、僕は昼間は前の会社に行って、夜中に池ノ辺さんの事務所に行って。

池ノ辺

悪いね。

若かったからできたんだね。

今だから言える、前の会社ももうなくなったから。

小松

当時はフィルムから予告編を作っていたので、使いたいところを決めて、現像所でネガをとってもらうのに、何日もかかったんです。

そういう意味で、物理的な準備期間はかかったけれど、今の方が、デジタルで修正できる分、納品ぎりぎりまで、「こうしてくれ。ああしてくれ」の注文が多くて、逆に昔よりも拘束時間がすごくかかるようになった。

昔は本当に、宣伝部のごく少数の人が見て、決めちゃってたんです。

「これで行こう」と。

池ノ辺

そうそう。

今は製作委員会で、関わる人の数も多いから、違う意味で大変だよね、私も30歳ぐらいで会社を興せばいいかなと思っていたんだけど、小松さんが会社を辞めると聞いて、だったらうちで一緒にやろうよと声をかけたの。

それで他のスタッフ2人も入ってもらって、4人でスタートしたんです。