Jul 21, 2017 interview

第3回:20代の駆け出しのころは寝る時間もないくらいに仕事をやってた。

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池ノ辺直子の「新・映画は愛よ!!」

Season16  vol.03 株式会社バカ・ザ・バッカ 創立メンバー 小松敏和 氏

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映画が大好きで、映画の仕事に関われてなんて幸せもんだと思っている予告編制作会社代表の池ノ辺直子が、同じく映画大好きな業界の人たちと語り合う「新・映画は愛よ!!」

今回は、株式会社バカ・ザ・バッカの創立メンバーで、元取締役専務の小松さんに、いままで制作してきた中で、思い出に残っている予告編は何だったのかを語って頂きます

→前回までのコラムはこちら

池ノ辺直子 (以下 池ノ辺)

映画予告編ディレクターのレジェント、小松さんに予告編人生を振り返っていただく第三弾。

今回は、いろいろ思い出に残った予告編について伺いましょう。

わがバカ・ザ・バッカをともに立ち上げる前に印象に残っている予告編はどの映画になりますか?

小松敏和 (以下、小松)

しんどかったけど、結果的に良かったというのは『南極物語』(1983)。

池ノ辺

何が大変だったの?

小松

今はテレビ局主導の映画や、出版社主導の映画っていっぱいあるけど、『南極物語』はフジテレビが本格的に映画に進出した作品で、いわば、社運を賭けた大作だった。

だから、フジテレビも心配でしょうがないし、蔵原惟繕監督も自らプロデューサーもやっているから、ある種、監督生命もかけている。

いろんな人が運命をかけた作品だったから、予告編の内容についても、いろんな人が、こうして欲しい、ああして欲しいとものすごく注文をいれてくるわけですよ。

「よし、これでいこう」ということに全くならない。

で、そういうやり取りが積み重なって、当初は、社長が担当していたんだけど、途中から、僕に任されたのね。

まあ、押し付けられたという言い方もできるけど、「困ったな」と思いながらやって、いろんな人に、色々と怒られながら作った予告編なので。

池ノ辺

結果的には大ヒットだったから、小松さんのキャリアには大きな作品になったんじゃないですか。

やっぱり、あれですか? 高倉健をかっこよく、写せって言われたんですか?

小松

高倉健さんに関しては、言ってこないです。

池ノ辺

じゃあ、あれだ、犬だ。

犬をよく見せろとか。

小松

犬のことは言っていましたね。

でも、それ以上に言われたのは、大作ならではのスケール感だとか、ヒューマンドラマであるところを見せてほしいと。

いろんな要素が入っている映画だったからね。

その時によく覚えているのは、それまではフイルムで予告編を作っていて、予告編も映画会社の試写室でみんなでチェックしていたんです。

でも、『南極物語』の時は、蔵原監督が忙しくて、監督に試写室まで来てもらうのが難しく、それで、止むを得ず予告編をビデオにおとして、監督のもとに行って、テレビの画面越しにチェックしてもらうというのを、初めてやったんです。

そしたら蔵原監督から、「この映画は、日比谷映画劇場でかけるんだから、大スクリーンで観客が見ることを想像して画(え)づくりをしてほしい」と言われたの。

池ノ辺

あー、わかる。

小っちゃい画面を見て予告編を作っていると、小っちゃい画面で分かるように顔のアップとか入れちゃって、サイズに合わせて作っちゃうのよね。

小松

なりがちでしょ。

人がぽつんと立っている壮大なランドスケープみたいなショットは、小さい画面をみていると、つい外しちゃう。

テレビ出身の監督とかはそういう感じだった。

池ノ辺

アップが多い予告編を作っちゃう。

小松

蔵原監督は日活の全盛期を支えた監督だから、映画の見せ方をよくわかっていて。

そういうことを言われたのは初めてだったから、その言葉は以後、ずっと忘れないで、予告編を作るようになった。

最近の予告編ディレクターはパソコンのモニターサイズで作るのが当たり前だから、どうしてもそのサイズでわかりやすい、見栄えのいいショットを選びがちなんだよね。

そうすると、遠景のショットとか、暗いトーンの映像がなんとなく自然に排除されちゃう。

でも「それだと映画らしくない」となっちゃう。

池ノ辺

日比谷映画ってどこにあったんですか?

小松

今の日比谷シャンテ・シネのある場所で、洋画の大作は全部そこでやってたんですけど、そこで邦画の大作を珍しくかけるということだった。

池ノ辺

なるほど、小松さんの最初の転機は、大作の面倒くささに閉口して親分が逃げちゃったことで訪れたというか、そのおかげで、予告編ディレクターとしてデビューできたってことなんですね。

小松

ダメ上司という言い方は失礼だけど(笑)、社長が最後まで責任を持ってやっていたら、僕は最後までアシスタントだっただろうね。

『南極物語』は大変な仕事だったけど、自分にプラスになっている。