Jan 12, 2018 column

映画『君の名は。』お正月テレビ放送に感じた、テレビの可能性とは?

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“不便”であることは本当にデメリットだけなのだろうか? 例えばニュース。ネットニュースなら興味のある話題だけを選んで効率的に情報を受け取ることができる便利さがある。しかし自分で選んでしまうと、いくら注意をしても結局は自分が興味のある話題や、受け入れやすい(あるいは批判しやすい)論調の物に偏っていく。効率的ではあるが、これはメリットだろうか?その結果、陰謀論やフェイクニュースを拡散することに繋がってしまうことだって多い。

僕はTVニュース最大のメリットは「こちらが望まなくても、自分に興味が無い話題や、自分とは異なる論調が一方的に流されてくる」ことだと思っている。そこから別の話題の別の面が理解できることだってある。興味の無いニュースや論調は無駄(非効率)な時間と思えるが、しかし結果的にはメリットがもたらされている。 『君の名は。』地上波放送もそうだ。ソフトを持っているのだから新年早々テレビの前に2時間も張り付いている必要は無かったのだが、このCMも含めた放送番組そのもののお祭り感は、非効率でありながらそれ以上のメリット(楽しさ)を僕に感じさせてくれた。

テレビ放送、とりわけ地上波の凋落が言われはじめてすでに何年も経つ。見る時間が限られる。テレビ(受像器)があるところでしか見られない。見たいものだけを選んで見ることも出来ない。そこから各局が重い腰を上げてのネット配信のスタートであるが、一方放送側としては無料放送を可能としている根幹であるCMをスキップされては困る。視聴者側の利便性・メリットと事業側のメリットが乖離している。かといって視聴者のメリットだけに合わせれば、現在のビジネススキームでは地上波放送は成り立たない。地上波放送が成り立たなければ番組を配信で流すことも成り立たない。ざっくり言えば放送はいま負のスパイラルに囚われてしまっている。

この負のスパイラルは配信にシフトした視聴者にとっても実は無関係なことではなく、配信番組もその多くはTV番組と同じスタッフや制作会社によって手がけられている物が多い。そのため、放送が沈むと配信の番組にも影響が出てしまう。放送と配信は別個の物だ。よく言われるような対立構造で考えること自体が違うのかもしれない。しかしお互いの影響は避けられない。映像メディアにとって新しい時代の新しいアンビバレンツがそこかしこに生まれている

配信や動画サイトも入り乱れての映像メディア勢力図大激動のこの時代。「利便性とメリットと面白さをどう考えるのか」というのはテレビだけではなく全ての映像メディアに接する人たち(もちろん視聴者も含めて)にとって重要なポイントなのではないかなー…などとTV前で考えた年明けだった。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)