Nov 29, 2017 column

『君の名は。』に至るまでの新海誠の軌跡とは?『新海誠展』から読み解く

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昨年の『君の名は。』のヒットを受け、原画などを展示した作品展(『君の名は。』展)が日本各地で開催され、そこで展示されている新海誠監督と過去作品の受賞歴に、2002年 第2回日本オタク大賞 「トップをねらえ!」賞 の文字があった。 日本オタク大賞は僕がかつて携わっていたCSの番組企画で、思い返すとこの番組がCSという特殊な媒体とはいえ、TVで新海誠を取り上げた初めての番組だったのではないかと思う。『トップをねらえ!賞』というのは『ほしのこえ』発表時にあった「でもこれ『トップをねらえ!』(庵野秀明監督によるビデオアニメ 1988年)だよね」という反応を受けてのもの。しかしオタク大賞は「その結論が出るまでにどのような話や評が出たのか?」が重要で結果だけではうまく伝わらないというか、肯定的な評価もされた上でのことではあるのだが。確か僕は、「あらすじと設定を読んだだけでも泣きました!」とか言って話題の候補にプッシュしたような記憶がある。

とはいえ個人的には今さらこの文字を見せられると、すっごい成功者になった人からしっぺ返しを食らった気分で、その場で謝罪したくなった(苦笑)。

先日より、東京・国立新美術館で『新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』の開催が始まった。 国立新美術館は「なんか見おぼえがある建物だなー…」と思われる人もいると思うが、『君の名は。』劇中で瀧と奥寺先輩がデートに行くあの美術館である。ご覧になった人なら「ああ!」と思うだろう。

前記した『君の名は。』展のように、作品に絞った作品展では主に「“作品を構成しているもの”と受け手を繋ぐもの」ということが主眼になる。たいていの場合は原画や背景美術画、設定画の展示などが主で、アニメという集団作業によって制作されたものが、いったいどういうピースの組み合わせによって生まれていたのか?に出会えることが面白味となる。

対して『新海誠展』は「いったいどういうピースの組み合わせが新海作品という全体像になっているのか」を紐解く展示だといえる。 デビュー作『ほしのこえ』から『君の名は。』までの原画や画コンテ、設定資料の展示はもちろん音楽についてまで。それぞれの展示キュレーションが実に的確で、作品ごとに「その作品が新海のアニメ制作にとって、どういう意味がある(何を制作テーマとしていた)のか?」がわかりやすいものとなっている。新海誠という全体像を読み解く展示として、この部分こそが今回の展覧会の見所だ。

ほとんどの作業を1人で行った『ほしのこえ』(02)はちょっと特別な例となるが、初の長編作品『雲のむこう、約束の場所』(04)以降は多くのアニメ作品と同じく集団作業で制作を行っている。当然、それぞれの要素を作り出すのは個々のスタッフだが、それをまとめ上げる監督として、新海はそれぞれの作品で何を目指していたのか。どのような制作課題と向き合っていたのか。 昨年、『君の名は。』で初めて新海作品に接した人たちからは、その背景などの映像の美しさ、緻密さ、リアルさが驚きをもって絶賛された。初期から新海作品を支持してきた人たちの中にもその部分に魅せられてきた人は多い。新海はなぜあのような見え方にこだわるのか。そしてあれらの現実を切り取り、光で演出した風景の映像はどのように作られているのか。 「ここまで現実にある風景を使っているなら、実写作品でも出来たのでは」という反応を実写映像関連の人らから聞いたことが何度かあるのだが、これらの展示を見ると「ムリです!」ということがはっきりわかる。ロケに行ったってあんな映像は撮れやしない。新海作品の映像にあるような光のコントロールをしようと思ったら、ほとんどCG作品になるほどのデジタルエフェクトをかけるか、ロケではなく全てスタジオででも撮らなければムリだ。

全作を俯瞰して見ることが出来るこの展示を通すと、新海がこの“風景の見え方”を生み出すための技術的なトライは初期から行われ、『秒速5センチメートル』(07)でほぼ確立したことがわかる。『秒速』のあるカットを分解した展示では、その画を作り出すためにこれほど多くのピースを組み合わせていたのかと驚かされた。 (ちなみに新海作品では背景画制作は初期からデジタル作業で行われているため、「生の背景画」というものは無い。当然ながら展示は出力したものとなっている)