Jan 12, 2017 column

2016年アニメ映画レビュー『聲の形』『この世界の片隅に』 コミュニケーションをかき立てる映画たち

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2016年は社会現象とまで言われる大ヒットをした『君の名は。』が印象強いが、他にも素晴らしいアニメ映画が目白押しの年だった。その中ではずせない作品であった『聲の形』『この世界の片隅に』の2本についてふれておきたい。

 

山田尚子監督の『聲(こえ)の形』は聴覚障害を持つ少女と、かつて彼女をいじめることに荷担してしまった少年が高校生になって再会したことから始まる物語である。贖罪の物語ではなく、彼や彼女らがどのような生きづらさを抱えているのか、そしてお互いに何を感じたことで変化をし、人生が開けていくのか。思春期の閉塞とそこからの成長の物語だ。 9月に公開されるや、感動が観客を呼び興行成績を大きく伸ばした。この作品の主な観客層は高校生前後であるのだが、彼らを見つめる親の心情描写など、大人の方が感情移入できる要素も多い。年が明けた17年1月現在でも一部の劇場では上映が続いている。

根底にあるのは“コミュニケーション”の本質そのものへの問いかけだ。人に気持ちを伝えることの難しさ、壁、わずらわしさ。しかしそれでもなぜ僕らは他者へのコミュニケーションを求め、望み、そのために苦心するのか。登場人物たちは自分たちのその答を探していく。軽くはない題材を扱いながら、目の前の風景が開けていくドラマは、見終えたときの印象がとても心地良かった。 原作はベストセラーとなったコミックであるが、聴覚障害ゆえに声を上手く発せられない主人公の演技、ささいな仕草の描写、心情を伝える映像演出にアニメ(映像)化ならではのプラスアルファがあるし、なによりそれらの描き方に監督自身が何をどのように見て感じているのかが伝わってきた。このように現代が舞台の日常の物語では「実写ドラマや映画化ではダメなのか?なぜアニメなのか?」という反応が必ずといっていいほどあるのだが、風景の切り取り方ひとつをとっても心情を伝えるための記号に出来ることが、僕はアニメだからこそ可能な強みであると思う。

そして11月の片渕須直監督による『この世界の片隅に』。 少ない公開規模でありながら評判が広がり観客数が増え続け、最近では芸能人や著名人が感動を自身のブログなどでも話題にしているのを目にする。年が明けて今後さらに公開館が増えていく予定だという。すでに多くの映画ファンから「2016年のベスト1」という声が出ていたが、実際、1月10日に発表された『第90回キネマ旬報ベスト・テン』では日本映画第1位と監督賞をダブル受賞した。長く続く同賞においてアニメ映画が1位に選ばれたのは『となりのトトロ』(1988年)以来の2度目。監督賞にアニメ監督が選ばれたのは初である。

昭和10年代に広島から呉に嫁いだ女性・すずを主人公とした戦時中を舞台とした作品だが、幾多の同時代を舞台とするドラマや映画とは大きく異なる。描かれるのはあくまで彼女を取り巻く戦時下の日常の日々だ。 イラスト調の画で表現された映像はとてもシンプルにかわいらしく見える。しかし次第に観客はまるでその物語の世界、狂気や絶望が混在する時代そのものに引きずり込まれているかのような錯覚に陥る。時代性を再現する徹底したリサーチは凄まじい。そもそも、こうの史代による原作マンガでもそのリサーチはとてつもないレベルなのだが、アニメ映画化にあたり制作者はさらに徹底して行い作品に反映させている。それは僕らのような戦争体験者ではない世代にある「戦争時代を描いた作品はこういう物だろう」「これまで映画やドラマで見たその時代の描写はこうだった」というあらゆる思い込みを根底から揺るがしてくれる。徹底して再現したその時代性は、実写、アニメを問わず今後の映画・ドラマにおける戦中描写を大きく変えることになるかもしれない。実際に当時を経験している世代の人たちの反応もかなり良いようで、ネットでも当時を経験している親と見に行ったら「あの通りだった」と語っていたという話を目にした。だが、同時にそのことは、当時の日常についての話を僕たちがいかに上の世代から引き継いでいないのかを痛感させられ、少々愕然ともした。大人層を中心とした拡がりを見せているが、その意味では中高生などにもぜひ見て貰いたいと思う。この映画は僕たちが忘れていたり気づいていない大切なものを語ってくれる。

2本の2016年を代表するアニメ映画について書いたが、もちろんこの他に『君の名は。』もあった。それも語るとあまりに長くなるので今回はあえて本文で書かなかったのだが、この3本でまとめを書いておきたい。 作品的にも興行的にもアニメ映画大豊作の年だったと思う。もちろんこれらの作品はストーリーやテーマには共通性は無い。しかし自分も含めた周囲の人たちの反応を見ているとそこには共通性があった。見たことを人に伝えたくなるのだ。何に感動したのかを伝え、人と話したくなる。他の人が何に感動したのかを知りたくなる。 僕は『君の名は。』や『聲の形』では上映後に高校生たちがどんな反応をしているのかにすごく興味がわき聞き耳を立ててしまった。『この世界の片隅に』は観客に戦争経験者と思われる年配の方を見かけるとその人の反応や感想が気になって仕方なかった。『この世界の片隅に』の反応では他にも驚いたことがある。それは僕もなのだが、見た人が皆この作品の“味方”になるということ。見ると誰かに勧め1人でも多くの人に見て欲しいと思う。この作品にはとにかくヒットして欲しいと思う。それを微力でも手伝いたいと思う。そのためにコミュニケーションが生まれる。見た人をそこまで駆り立てる映画がそうそうあっただろうか。

『君の名は。』で主人公たちはネットでやり取りしていたコミュケーションからその外に出ざるを得なくなる。『聲の形』はコミュニケーションそのものが作品全体の大きな縦軸となっている。『この世界の片隅に』は寄り添う人たちとの繋がりを大事にしている。 まるで映画から何かが感染し発症したように観客はコミュニケーションを求めた。ネットでの感想も自分が何に感動したのかを熱心に伝えようとする人たちであふれた。作品そのものから伝わる感動だけではなく、そのことが僕らにさらに感動を生んでくれたし、自分たちがいまどこに立っているのかを再発見させてくれた。そういった、自分を振るわせた部分に「この作品を見て良かった」理由がある。コミュニケーションはそれを知るための道だ。もっとアナログで根源的な感情に直結した部分。アニメや映画にはこんな力があったのだという底力そのものだ。

普段アニメは見ないという人もいると思うが、それでもこの3本は劇場で見ておくことをおすすめしたい。(『聲の形』はすでに上映劇場が限られてしまうので難しいかもしれないのだが) アニメに限らず劇場で映画を見た時の空気や印象そのものというのは作品評に関係は無いが、しかし自分以外の人の反応が感じられる、映画館で(他の観客とその場で同時に)見るということは、どうしたって追体験は絶対に出来ない。加えて書けば「なんでこの作品があの時にああもヒットしたのだろう?」「なんであの時にああも自分の心を振るわせたのだろう?」ということは後からはもうわからないことだってある。たまたま“その時”“その時期”の“なにか”と反応したのだったと。その要素に“観客”も含まれるのだが、そういう空気は後からはもうわからないし、感じられない。この3本についてもそれが感じられるのは今だけだと思う。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)

関連書籍はこちら

「聲の形」(大今良時 (著) / 講談社)

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「この世界の片隅に」(こうの史代 (著) / 双葉社)

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