1999年のコロンバイン高校乱射事件を題材にしたガス・ヴァン・サント監督の映画『エレファント』(2003) が、カンヌ映画祭でパルムドールと監督賞というダブル受賞に輝いたのは2003年の春。監督は現在74歳。新作『デッドマンズ・ワイヤー』もまた70年代に起きたセンセーショナルな事件をもとに、映画『ジョーカー』(2019) のような、ダークヒーローが誕生する脅迫劇をスタイリッシュに描いている。時代を超越して描かれる弱者の求める正義は、過激な行動でしか報われないのか。映画のポスターや予告編ではまず想像ができない、社会派でありながら、この映画がいかに爽快なエンタメ映画かは劇場でぜひ、味わってもらいたい。

刹那に生きる現代のダークヒーロー
建国250年を迎えた米国。今年は通常の花火大会だけではなく、ミネアポリスでは移民取締当局ICEの強制送還強化で死んだ52人の葬式パレードが行われ、現政権に抗議する行事まで行われるなど、陰のある建国記念日となった。弱者を守る正義はどこに存在するのか。そんな米国で、弱い立場の犯罪者が熱狂的な人気を得た事件は多々ある。まず、映画のもととなったのは、1977年にインディアナポリスで起きた実際の事件。
犯人のトニー・キリシスは、今まで犯行歴のない一市民。しかし、自作の兵器を作るまでに精神的に追いやられていた。その兵器こそが「デッドマンズ・ワイヤー」。先端をノコギリでカットしたショットガンの先にワイヤーで首輪をつくり、人質が離れようともがいたり、犯人自身が狙われた際に自動で引き金が引かれ、発砲されるというとんでもない代物。トニーは兵役時代、爆発物処理の専門家だった。実際にテレビカメラを見据えながら、人質を盾に声明文を読む70年代の映像はYouTubeにも存在する。その姿は堂々としていて、声明文を読む際には、自らを支えた弟や人気ラジオDJを背後にたたせ、積み重なった屈辱をテレビ放送で晴らし、70年代には考えられなかった方法で、人質事件が全米に生中継されたのだった。

映画を撮るのは7年ぶりというガス・ヴァン・サント監督。この映画がベースにした事件と、近年の殺人事件との類似性を指摘している。それは2024年の12月4日、アメリカの大手医療保険会社ユナイテッドヘルスケアの最高経営責任者ブライアン・トンプソンが、ニューヨーク市マンハッタンのミッドタウンで殺害された事件だ。事件の容疑者ルイジ・マンジョーネをまるで映画『ジョーカー』でも見ているかのように、ダークヒーロー化し、ハッシュタグ、#Freeluigi #ルイジ釈放と、彼を庇うソーシャルメディアでの支持が急増。大勢の匿名の支持者たちが彼の弁護士費用を募金した。監督は、そんな現在の若者が支持するダークヒーロー像を探究したいと思ったと語っている。
物語は、70年代に報道のあり方を大きく変えた殺人容疑者トニー・キリトシスの実話をもとに、63時間にわたって人質を拘束した犯人トニーの話を脚色して描いている。
この映画が心に残るのは、事の大胆さではなく、感情移入できる主人公のパーソナリティにある。彼が行動にでるほどの狂気に至った原因に観客が見入ってしまうのだ。それは、トニーが怒りの末に決意した正義を求める言動、世界中から注目されるスペクタクルへの憧れ、観客が正気を失った主人公を応援してしまう危険性など、私たちが、ダークヒーローを理解し、なぜ支持してしまうのかという心理劇が描かれている点などだ。
脚本家オースティン・コロドニーは、フィルムスクールを卒業後10年間、LA動物園など、さまざまな仕事を続けながらも脚本を書き続けていた。去年、アカデミー賞の前哨戦に向けてのインタビューで、ガス・ヴァン・サント監督から声をかけられた喜びの瞬間を語っていたオースティン。センセーショナルな実話が、不安定な状況から秩序を失ってカオスへと枝分かれしていくさまを、格差社会の中で破裂させ、それを拡散するメディアの姿を描くという、現代のソーシャルメディアに似た拡散の連鎖的な仕組みが浮き彫りになっていく。
例えば黒澤明の『天国と地獄』(1963) では、誘拐犯が製薬会社専務の息子と間違えて、運転手の息子をさらう。最初から主人公の目的をはばむカオスに、観客は夢中になった。原作はエド・マクベインの「キングの身代金 (原題:King’s Ransom) 」。身代金と少年の命が天秤にかけられ、その緊張感はスティーブ・カレラという刑事の必死の捜査と、会社の重役という富裕層の心理戦でもあった。黒澤明監督の演出は、全編リズム感にあふれ、それぞれの登場人物の動きに手に汗にぎる演出で、今でもハリウッドでのリメイクが続いている。去年 、スパイク・リー監督が『天国と地獄 Highest 2 Lowest』(2025) でデンゼル・ワシントンを主役に迎えて監督したが、見せ方、画作りともにオリジナルを超えるものにはならなかった。もちろん、この映画はそのリメイクではないが、ガス・ヴァン・サント監督は我々を裏切らない。物語は緊張の63時間を追う話だが、主人公、そして、それぞれの登場人物の背景を歯切れ良く演出しながら、社会の亀裂が生じる瞬間のサスペンスまで、手を抜かない。1時間44分の映画を見たあとにしか味わえないプロの味がここにある。
