Mar 19, 2017

特集2189

戦友・富野由悠季と安彦良和、そして古川登志夫の駆け抜けた“ガンダム前夜”70年代アニメ史

レジェンドクリエイターインタビュー
安彦良和×古川登志夫
[安彦良和 THE ORIGIN編]

arranged by レジェンド声優プロジェクト

 

アニメ黄金期を作りあげてきた“巨匠”たちの物語を紐解くレジェンドクリエイターインタビュー。今回お招きしたのは、『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインなどで知られる安彦良和さん。アニメ黄金期を牽引してきたカリスマクリエイターとして知られる安彦さんの“これまで”そして“これから”を、『機動戦士ガンダム』でカイ・シデン役を務めた声優・古川登志夫が聞き出します!

⇒[めぐりあいガンダム編]はこちら
⇒[機動戦士ガンダム THE ORIGIN編]はこちら

 

 

 

古川登志夫
(以下、古川):

これまで2回に渡って、ガンダムを中心に安彦先生のご活躍ぶりをお伺いしてきましたが、今回はそこにいたるまでの、70年代の話を中心におうかがいしたいと考えております。まず、そこにいたる前の部分、先生がアニメ業界に入ろうと思われたきっかけを教えていただけますか? 少年時代? 学生時代? なにか原体験的なできごとがあったのでしょうか。

安彦良和
(以下、安彦):

動機が不純なんですが、“食うため”というのが本当のところです。虫プロの養成所に入った当時(22歳)はアニメのことなんて何にも知らなかったんですよ……あ、いきなりですが、ちょっと宣伝いいですか?

古川

はい、もちろん。

安彦

実は、3月に自分史みたいな本を出したんです。三分の二は青森の地方新聞の記者さんが書いた連載記事なんですが、今話したような裏話的な話も書かれています。しかも、なんとあのお固い岩波書店から。タイトルは『原点 THE ORIGIN』。生い立ちから、学生時代、アニメ業界時代、そして現在までをふり返った本になります。

古川

『原点 THE ORIGIN』とは良いタイトルですね(笑)。であれば“どうしてアニメーターになろうと思ったのか”といった話はそちらで読んでいただいた方がよさそうですね。では、その辺は少し飛ばしていきましょう。いろいろあって、“食うため”にアニメーターを志した安彦先生が、数あるアニメ制作会社の中から、虫プロを選ばれた理由を教えてください。

安彦

ある日、新聞広告を見ていたら、虫プロ(編集部注:正式名称は虫プロダクション。漫画家・手塚治虫が立ち上げたアニメ制作会社。日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』などを手がけたが1973年に倒産した)が新入社員の募集をやっていてね。当時の僕は清瀬に住んでいて、そこから江古田の写植屋さんに通っていたんだけど、虫プロのスタジオがちょうどその通勤路上にあったんですよ。ああ、ここなら行ける、って。申し訳ないんだけど、そんな理由なんです。

古川

そうだったんですね!(笑) ちなみに実は僕も、若い頃にあの辺をうろうろしていたんですよ。西武線沿線には、クリエイター志望の若者がたくさん集まっていました。

安彦

トキワ荘以来の伝統じゃないかな。今でもたくさんの漫画家が住んでいますよ。僕がそこに住んだのはまったくの偶然なんですけど。

古川

虫プロ時代にはどういった作品に携わっていらっしゃったんですか?

安彦

皆さんがご存じの作品では『新ムーミン』(1972年)ですかね。まだ入ったばかりの新米だったんですが、オープニングをやったんですよ。アニメ制作にはいくつかの班があるんですが、回された班がオープニングをやることになって。3人1組のチームで作ったものなので、全部が僕の仕事というわけではないのですが、冒頭のペン描きされたムーミンがピョンと逆立ちすると色が付くという部分は僕のパートですね。これが、初の「原画」仕事になります。

古川

これを新人時代に! しかもたった3人で作られたというのが凄まじい。

安彦

この頃のオープニングっていうのはそれくらいの少人数で、片手間にやらされたもんなんですよ。今でこそ大がかりですけどね。ベテランさんが1人と、僕と、そしてやはり新人原画だった川尻善昭くんの3人でやりました。川尻くんはその後、マッドハウスに移籍してハードボイルドな作品(『妖獣都市』『バンパイアハンターD』など)を多く手がけていますね。元気な熱血アニメーターでした。

古川

ほかにはどんな作品に関わられたんですか?

安彦

虫プロはその後、すぐに畳むことになってしまったので、『新ムーミン』の後にやった『ワンサくん』(1973年)で最後じゃないかな。間に『小さなバイキングビッケ』とか。僕は本当に最後の方のスタッフだったので。

古川

手塚先生とはお会いになられたこと、あるんですか?

安彦

虫プロ時代にはありません。あそこ、社員が300人くらいいましたからね。僕はその中で一番下っ端だったので、話すどころか、ほとんど見たこともありませんでした。覚えているのは、手塚さんが社長を辞めることになった時に、宴会場にスタッフを全員集めて挨拶したときくらいかな。それも一番後ろの方から、人の頭越しに見ているような感じでした。ずっと後で、『アリオン』の時に対談していただいて、それが最初で最後。

古川

そして、虫プロ倒産後にフリーとなって、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)や、『ゼロテスター』(1973年)『勇者ライディーン』(1975年)などのサンライズ(当時は創映社)作品に参加していくことになるんですね。

安彦

そうそう。『ヤマト』は別の会社の、ですけどね。ちょっと話は逸れるんですが、今回、古川さんとお話しするにあたって、古川さんの芸歴をネットでみたところ、『ゼロテスター』がアニメ声優デビューだったそうですね。しかも『勇者ライディーン』にも出ていらっしゃる。『勇者ライディーン』では僕がキャラクターデザインをやっていたんですよ。

古川

もちろん知っています。当時はまだ新人だったので「通信員」とか「兵士B」みたいな役どころだったんですが、その記念すべき1作品目に安彦先生が関わっていたというのは、今にして思うと奇縁ですよね。

そして、その後、安彦先生の作品では『無敵超人ザンボット3』(1977年)で、初めて名前のある役をいただくことができました。香月真吾という主人公・勝平の親友役をやらせていただいたんですよね。レギュラーキャラだったので、私としては、この作品でやっと安彦先生と一緒のアニメをやらせていただいた、という気分です。そしてその後『機動戦士ガンダム』(1979年)に繋がっていくという……。

安彦

僕は、アニメ業界にいながら、全然声優さんに詳しくなくて……。とにかくひたすら絵を描く仕事だったので、収録現場にも行かなかったんだよね。なので、ほとんど覚えてなくて……ごめんなさいね。

古川

いえいえ、とんでもありません!