ジョージ・オーウェルの『1984』というディストピア小説が、1949年という昔に書かれたものでありながら今を鋭く言い当てていると、今なお愛読されているように、1997年にオンエアされたKinKi Kids主演の近未来ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』にも、2017年の空気を先読みした印象がある。
このドラマは、日本テレビの櫨山裕子プロデューサーが堤幸彦監督と組んで作ったドラマで、95年の『金田一少年の事件簿』から、ふたりのプロデュース、演出と、ジャニーズ主演の画期的なドラマとして、その後、ドラマ作りに携わる者たちに大きな影響をもたらした。
とりわけ、子供たちだけで国に立ち向かうという『ぼくらの勇気 未満都市』は、エッヂの効いたドラマだった。それが、20年後に復活することとなった今、当時この実験的なドラマがなぜ生まれたのか、そして20年も経て復活したワケを、櫨山プロデューサーに聞いた。
KinKi Kidsが、十代に向けたドラマを作りたいと言った
──撮影が終わって編集作業中ということですが、感触はいかがですか?
うーん……まだわからないですね。いつもそうなんですけど、撮って、編集した後で、あ! と気づくこともたくさんあるので、それがないように、作業の最後の最後まで、今までの撮影した映像や台本などを、死角を消すつもりで再確認しているところです。でも、こればっかりは、オンエアしてみないとわからない。放送当日の天気から、起きる事件まで、すべて含めた要素が結果(視聴率)を作りますので……。
──そういうものなのですねえ。ではまず、20年前のドラマを、その20年後、新作をつくるに至ったわけや、それを決めた時期を教えてください。
元々は、KinKi Kidsの20周年である2017年の7月21日に向けて、何かドラマができないかという話からはじまりました。それ以前から、『20年後にまた会おう』と言って登場人物が別れて終わった連ドラのことは、頭の隅っこにずっとあって、KinKi Kidsの20周年と聞いた瞬間に、もしかしたらできるかなという気分になり、実現するための、人集めや、環境づくりをした結果、奇跡的に成立したという感じでしょうか。
──16年に『刑事バレリーノ』で久しぶりに堤幸彦監督とお仕事されています(1999年『新・俺たちの旅Ver.1999』以来)が、その時は、すでに準備は進んでいたのでしょうか。
その時は、そういう話があるが何をやろうか? みたいな話は世間話的にしたことがありました。堤さんも忙しい方だから、2017年の7月21日に向けてドラマをやりたいが、スケジュールはありますか? というような漠然とした相談に過ぎませんでしたが。
──具体的に企画が進んだのはいつ頃ですか?
やろうと決心したのは……、KinKi Kidsのスケジュールが見えて、堤さんも大丈夫となり、矢田亜希子さんや嵐のふたり(松本潤、相葉雅紀)をはじめとした当時のレギュラー出演者たちも出演できるとなった時ですね。とりわけ、小原裕貴さんは、芸能界を引退していたのでまず本人にコンタクトを取る作業から始め、実際、出るためにはどうすればいいかを相談したり、去年の夏くらいからその作業をやっていました。