Jul 20, 2017 interview

『ぼくらの勇気 未満都市』が20年ぶりに復活した理由とは?日テレ櫨山プロデューサーに聞いた

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──ストーリーはどういうふうに考えたのでしょうか。

最初は『20年後にまた会おう』というのが、今回の物語の出発点なので、大人になった主人公たちの大人のためのストーリーがいいかなと思っていたんです。例えば『Sunny』という映画がありますよね。少女時代の仲間が主婦になってから再会する話。ああいう構造かなと。KinKi Kidsも38歳で、それなりに大人なので(笑)、大人のしっとりした話がいいのかなと、何回か台本のやりとりしていたところ、どうもうまくいかなくて。そのうちKinKi Kidsと一回会って、プロットを見せて意見交換をしたとき、彼らはふたりとも、このドラマは、20年前の土曜9時の枠で、10代の人たちにすごく熱心に観てもらっていた記憶があると。このドラマの良さややる意味は、10代の子たちに、今、なかなかできないであろう旧作と同じ方向性を提示するのがひとつの存在価値じゃないかと言われて、目から鱗が落ちた。土曜9時のドラマらしい、ケレン味があって、エンタメ性が強いものを作って、十代の子たちに、ドキドキ感や、メッセージ性を感じてほしいという、彼らの考えが腑に落ちて、そこからものすごい方向転換を図りました。それで、20年前に死滅したはずのウイルスが生き返ったという、とんでも設定(笑)ができたんです。ところが、いざ、そういう設定にしたら、KinKi Kidsたちには、『まさか、ほんとにするとは思わなかった』と言われてしまいました(笑)

 

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──結果的に、その選択は良い方向にいったのではないですか?

いや、わからないです。最初の話に戻りますが、いくらこちらがそれしかないなと思ってやっても、お客さんが、いまどきこの話にはついていけないと思うかもしれないし、そこはどこまでいってもギャンブルで、どこまでもドキドキです(笑)

 

大人より子供のほうがえらい

 

──確かに、20年前に流行っていた世界観のひとつに、1999年の世紀末感も手伝った、世界の終わりなどを描くSF的なものがありました。でも、旧作を今、見返すと、現代のことを描いているようなところがあります。当時、どう思って、作ったのでしょうか?

私は、95年に『金田一少年の事件簿』を作りました。その時、私は、当時のテレビドラマの主流になっているものに興味がなかったんです。ホームドラマのほかに、トレンディドラマの全盛期でしたが、興味がないものを作れるはずもなくて。そんな私が唯一、楽しんで観ていたドラマは、10代のころのNHK の少年ドラマシリーズでした。『時をかける少女(ドラマだと『タイム・トラベラー』と改題されている)』『謎の転校生』などのジュブナイルSF小説をドラマ化したものです。ドラマ班に来ても居場所が見つからない中、あの世界観ならできると思いました。それで、『金田一少年の事件簿』、『銀狼怪奇ファイル』、『サイコメトラーEIJI』とやってみて、手応えがありました。次にKinKi Kidsのふたりを主役にしたドラマをということになった時、ジャニー(喜多川)さんに“子供だけの国”の話ができないか? と言われまして、そこから、1週間くらい考えて、ウイルスのアイデアが浮かんできました。やはり、本種本流のテレビドラマに反旗を翻すようなものをという気持ちはありましたね。当時、私は、37歳になっていましたが、相変わらず大人なんて……という気持ちをもっていて、それがドラマにも反映されています。

 

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──「Don’t trust over thirty.」大人を信じるな的な(笑)。

自分が大人の世界に適応できてないだけなのですが(笑)。そういう、大人に逆らいたい気持ちの表れか、『金田一少年〜』からずっと、私が作る土曜9時の枠のドラマでは“大人より子供のほうがえらい”という視点を持っていたと今になって気づいています。自分が子供だっただけなのですが、その視点で、大人って汚いよねというようなことを描いていました。今、思うと、当時、なんで、あんなに“隠蔽”“隠蔽”ってことにこだわっていたのだろう(笑)