Jul 20, 2017 interview

『ぼくらの勇気 未満都市』が20年ぶりに復活した理由とは?日テレ櫨山プロデューサーに聞いた

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──大人というか権力がいろいろなことを隠しているという、まさに今の時代を先取りしていますよね。

そうですね、自分で見返して、びっくりしました。ほんと、こわいですね、今起きていることとリンクしているから。

──共謀罪法も施行されましたし。

そう、あと原発の問題や豊洲の問題などもね……。当時も、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、酒鬼薔薇事件など、我々の想像を超えることが起こり始めた時代だったんですよ。みんなが、これまで当たり前に送ってきた生活がふいになくなって、どこに気持ちの軸足を置いていいか、不安になる時代だった。あと、矢田亜希子さんが、ルーズソックスをはじめて履いた人と言われているのですが、そのルーズソックスブームがあって、いわゆるコギャルっていうのかな、女の子がちょっとギャル化して、生活スタイルも変わってきたんです。茶髪でルーズソックス履いて、夜の街を徘徊するようになって……。

 

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──『ラブ&ポップ』の世界ですね(村上龍の小説は96年、映画化されたのは98年)。

とにかく女の子が派手になったんですよね。ポケベルからケータイに移り変わっていく時期でもありましたよね。

──すべてにおいて、時代の端境期だったんですね。

『金田一少年〜』の時はなかったですよ、ケータイが。一(はじめ)ちゃんはケータイではなく家の黒電話を使っていました。当時は、電話線を切ることで、連絡手段が遮断できる時代だったんです。今はもうそれができなくなりましたね。

──ケータイの出現によってミステリーも変化していった。

ケータイは推理ドラマには天敵です。隔絶させた世界が作れなくなりますから。

──密室ミステリーの崩壊ですね。そんな時代に、櫨山さんと堤監督は新たな価値観のドラマを生み出し、それが認められていった。偉業だと思います。

土曜9時(土9)の枠は、『家なき子』(94年)や『金田一少年の事件簿』などの、けれん味が強いエンタメ路線という方向性が一般に認知されていきました。でも、それも、長年やっているうちに、お客さんにとっても鮮度が落ちていくもので。2000年になると、金属疲労を起こすというか、自分の引き出しがなくなっていく感覚をもつようになりました。

──そんな時期もあったのですね。それがまた変化するのはいつ、どういうきっかけだったのでしょうか。

ちょうど、2000年に私は40歳になるにあたり、このまま仕事だけしていくのか、それとも結婚して子供を産むのかという分岐点に立たされまして、とりあえずやってみようと、結婚して出産したんです。 そうしたら、自分の人生の中に、仕事だけじゃない、もうひとつのラインができた。生活や子育てに自分の身を置くようになることで、子供を窓にして、テレビの視聴者の方々の状況や気持ちに寄り添えるようになりました。

──そうなると作るものは……。

変わりましたね。

──今回の『未満都市』は……。

20年前は、子供目線で、大人なんてさ……と言っていたのが、今は、10代の少年たちにどうやったら見てもらえるだろうという、反対の視点になりました。

──今回、観てもらうために工夫された点は?

20年前はけっこうえぐいんですよ。ナイフで刺すの刺さないのっていう場面があったり、松本潤くんが血みどろになっていたり、それを子供に見せたいかっていうと、親の立場としてはダメということになる。そうなると、そういう直接的なことをしなくても同じ気持ちになってもらえるような工夫をするようになりました。

──新しい表現の誕生ですね。

昔は、表現とメッセージが一緒だったけど、今は別になりました。