Sep 02, 2023 interview

製作面で支え続けた 齋藤朋彦が語る 山田洋次監督の作品と吉永小百合が新たな境地をみせた『こんにちは、母さん』

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山田洋次監督と大船撮影所

池ノ辺 『男はつらいよ』といえば、大船撮影所で撮影されていましたよね。今はもうないんですよね。

齋藤 そうです、2000年の6月30日に完全閉鎖しました。ちょうどその頃、山田監督の『十五才 学校Ⅳ』の撮影を6月25日くらいまで大船撮影所でやっていたんです。そして閉鎖の時にセットはそのまま置いてきました。どうせ壊すんだからとね。大船撮影所を失って一番悲しんだのは山田監督だろうと思います。

池ノ辺 大船が閉鎖されたあとはどこで撮っていたんですか。

齋藤 京都の松竹撮影所や東京の東宝撮影所です。

池ノ辺 その頃はデジタル撮影だったんですか。

齋藤 いえ、デジタルになったのは2本前『男はつらいよ お帰り 寅さん』(2019)からですね。それまではフイルムで撮っています。

池ノ辺 フイルム撮影時代のエピソードは何かありますか。

齋藤 『学校Ⅱ』(1996)の北海道ロケでのことですけど、牧場で係留した気球をあげるシーンがありました。無事、撮影を終えた次の日、連絡があって、現像してみたら傷があるというんです。とにかく急いで状態を確認しようということで劇場でラッシュを見てみたら、フイルムの真ん中が黒くなっている。もともとフイルムに傷があったのか、現像段階で何かが起こったのかはわかりませんでした。

池ノ辺 フイルムは本当に現像してみないとわからないんですよね。撮り直したんですか?

齋藤 そうです。山田監督も撮影の長沼(六男)さんもがっくりです。とにかく急いで他の作業と同時進行でもう一度撮影ができるように準備しました。山田組なので少なくとも俳優さんたちのスケジュールは3カ月はとってもらっていたのでなんとかなりましたけど。実際、山田組の撮影では、3カ月あっても日帰りの北海道留萌ロケとか、奄美大島ロケとかがあるんですよ。

池ノ辺 それって、宿泊するお金がないからじゃないですよね(笑)。

齋藤 それだけスケジュールが詰まっているんです(笑)。