Feb 10, 2018 interview

「僕がアナウンサーになった理由」、笠井信輔アナウンサーが語る愛溢れる映画の話。

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池ノ辺

忙しいと、試写を見逃すこともあるでしょう?

笠井

試写のスケジュールが合わないものは劇場に行きます。

池ノ辺

そういえば、映画会社さんは「笠井さんに試写を観てほしい観てほしい」って言ってますよ。

今回も東宝東和の方から、笠井さんに観て欲しいと伝えてと言われたんですよ。

早く感想聞きたいって。

笠井

ありがとうございます。

僕は感想好きなんですよ。

見終わったあと、かなり正直に宣伝担当に感想を言います。

試写直後は、ダメだった作品は、正直に、「ココがわからなかった」「こうすれば泣けた」「宣伝でここを押したほうがいい」なんて余計なこともね。

良かった場合は「グ~ッ!!」「これは当たる!!」「ここ泣けたよね」って、親しい宣伝マンは、すぐに、僕が気に入ったかどうかわかると思いますよ。

特に思い入れの強い邦画作品に関しては長文の感想を、宣伝の人に送りつけたりするんですよ。

もう感想が止まらなくなるんです。

他にもやらなきゃいけないことあるのに(笑)。

そもそも、僕が映画の感想文を書くようになったのは、中学生の時なんですよ。

池ノ辺

何がきっかけだったんですか?

笠井

町田に住んでいたので、近所の町映ローズ、町映グリーンっていう小さな映画館に行ってたんですが、その頃は、それこそ『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』『パニック・イン・スタジアム』なんてスペクタクル巨編も次々公開されていたんです。

そういう映画は大きいスクリーンで観たいんだけど、町田には大きい劇場がないから、新宿歌舞伎町のミラノ座、新宿プラザまで観に行かなきゃいけない。

ただね、歌舞伎町に行くと、その頃ちょくちょくカツアゲにあってたんですよ(笑)。

池ノ辺

あら〜、中学生の笠井少年が。

笠井

40年前の歌舞伎町は治安が悪かったんですよ。

もうね、『デトロイト』みたい。

池ノ辺

それは、大変!(笑)。

笠井

歩いているだけで、アンちゃんから千円とか二千円巻き上げられて。

家に帰ってまたカツアゲされたと言うと、母親が「もう行くな」と。

でも、大きなスクリーンで観ないと映画じゃない!と言い返す。

そうしたら、母親が「だったら、これから観る映画全部の感想文を書いて提出しなさい」と。

池ノ辺

すごい!お母さんは学校の先生ですか?

笠井

いや、普通の人。

そんなこと言われたら「なんだよ!」ってなるところが、僕は感想文を書けば歌舞伎町で映画を観て良いのか、だったら書くよと。

それから観た映画は全部感想文を書いて母親に見せていたんですよ。

その時の感想ノートを今日、持ってきました。

池ノ辺

ウワーッ、本当だ。

何冊もある。

笠井

中学2年の時に書いたノートを見ると、『エアポート’77/バミューダからの脱出』『人間の証明』『スティング』なんかの感想が書いてある。

けっこう良いの観てるでしょ。

ホラ、『ガントレット』『カプリンコン・1 』もある。

池ノ辺

あら、中学生で『卒業』も観てるんですね。

点数もつけてる。

笠井

「ロードショー」や「スクリーン」で名作として話題でしたからね。

『2001年宇宙の旅』は100点を付けてる。

これ、何でかと言うと、『ぴあ』の「ぴあテン&もあテン」で『2001年宇宙の旅』はいつも上にいるから、やっぱり100点付けないと格好悪いかなと思って(笑)。

『地獄の黙示録』も100点。

この作品に満点を付けたことは自慢なんです。

映画はすごく難しかったんだけど、この作品のストーリーを書いてるところを見てくださいよ。

池ノ辺

すごく細かいところまで書かれていますね。

笠井

プログラムにもこんなに詳しく書いてない。

やっぱりね、若いから脳が活性化してるんだね。

今だとこんなに細かく結末まで書けませんよ。

この『地獄の黙示録』の感想を今読んでみて思うことは、50代になった今と文体も含めてあまり変わってない(笑)。