Nov 21, 2017

インタビュー

【原田マハに聞く】なぜ今ゴッホなのか?『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』を超えたアート小説の裏側に佐藤直樹が迫る!

原田 だから私は、個人的には例えば、この間の小説『アノニム』で書いたジャクソン・ポロックや『リーチ先生』で書いたバーナード・リーチのような人たちに個人的には突出した興味があっても、それぞれの時代に人の心を掴んだアーティストや作品があることに対して、注意深い眼差しとリスペクトを持って、小説を書きたいと思っているんです。ジャンルは違うけれど根底に流れているパッションみたいなものにも、すごく魅かれている部分があります。それを探っていきたいというのが本書の目的の一つだったかもしれません。

佐藤 「もうそのアートは古いよ」とか、「すでに通り過ぎたものだから」なんて言えることって、ひとつもないということですよね。逆にその作品のリアリティというものが、いまの時代に見えづらくなって、僕らが追えなくなっているだけで。むしろその作品の現場に立ち返ってみると、現代でもまだ全然解決してない問題もあったりして、だからこそずっとアクチュアルな作品で在り続けるということもあるんだなということが、この本を読んで改めて浮かび上がってきました。それは新しいアート作品制作で示すことが困難な、“言葉の力”によるものだと思いましたね。

 

美術研究者には書けない
史実からこぼれ落ちた側面

 

佐藤 でもゴッホって、生前は評価されていなかったわけで、 謎に包まれている部分も大きいですよね。小説の着想や構想ができ上がっても、それをどうやって小説として書いていくのかと言う部分は、かなり難しかったんじゃないですか?

原田 難しかったです。今回も専門家しかわからないくらいの真実をかなり散りばめてフィクションを構築しました。いつもの私のやり方ですが、土台は真実で屋台骨をきっちり構築して、その上に95%のフィクションを乗せて書いています。大半はフィクションだけど、屋台骨がしっかりしていないとすべてが崩れてしまうので、土台作りには相当時間をかけてリサーチしました。文献もかなり読んだし、出てくる場所や絵はほとんど見て周りましたし、林忠正の故郷の富山県高岡市に行って取材をしたり、アムステルダム国立美術館や、ゴッホの足跡を辿って南仏にも行きました。ゴッホの命日にはオーヴェル・シュル・オワーズにも行って詳細を確認した上で、重吉なり、テオなり、忠正になりきって書いたので、リアリティはものすごくあると思います。だけど最後は思い切ってフィクションにしました。というのも、私は研究者ではないので、どれだけ史実に肉薄するかということよりも“こうであってほしかった世界”を書くことが仕事だと思っています。実在していたアーティストの仕事に対してのリスペクトを忘れずに、天国のゴッホ兄弟が読んだ時に「それが俺らがやりたかったことなんだよね」って言ってもらえるようなフィクションとしての真実を書きました。

 

 

佐藤 なるほど。確かに「作家が何を目指して、何がやりたかったことだったのか」は、必ずしも残っている文献や情報だけじゃわからないことの方が多いと思う。たとえ本人にインタビューして、「何を目指していて、本当にやりたかったことは何だったんですか?」と聞いたところで、自分自身もそうだけど、言葉にすると何か違うとか、上手く言えなくてはぐらかしてしまうとか、言葉が独り歩きして作品から離れて語り継がれてしまうことだってあると思う。観る方としては、作品や作家の核心とか真実といったものを時代を越えて理解したいけれど、残されている絵や資料だけでは難しい部分も確実にあって、そこは想像力を働かせるしかないところだと思うんです。この小説の中で起こっているゴッホやテオの心の揺らぎや感情というのは、“史実”としては絶対に取り出せないもので小説だからこそ書けたことだと思うし、もちろんフィクションではあるのだけれど、真実として迫ってくるものがあって、自分自身の内部で今起きていることとも重なって来ました。先ほど“身につまされた”と言ったのはそういうことなんですけど。

原田 佐藤さんは、ご自分で作品を描いていらっしゃるから、特にそうでしょうね。

佐藤 本当に迫りくるものがありました。いまでこそゴッホは巨匠ですが、当時、その瞬間、瞬間では何も先は見えないし、何の保障もないわけですから、その心の揺らぎはすごくリアルでしたね。日本人2人のやりとりを読んでいる時も、その間にテオとゴッホが別の場所で、それぞれどんな感情を抱いて現実と対峙しているんだろう?と、どうしても気になってしまう。それは今までにない読書体験でしたね。

原田 ありがとうございます。今回私が非常に特徴的なことができたとすれば、日本人の存在を絡ませてゴッホの生涯を書いたということだと思っています。読んでいただけるとわかると思いますが、あえて二重構造を取っています。一つはゴッホの弟だったテオの目線、もう一つは、架空の人物ですが、林忠正の助手・重吉の目線。主軸はゴッホと林忠正ですが。

佐藤 それはネタバレになりませんか?

原田 大丈夫です。入り口が林忠正になっていて、出口はゴッホになっている小説というのは。そのつもりで読んで頂いた方がいいかもしれません。

佐藤 そうですよね、それを聞いたからといって(読書の)楽しみはまったく減りません。実際、表紙がゴッホだからゴッホの話だと思って読み始めたら、最初は林忠正から始まって、そこも面白かったです。

タイトルに込められた想いと
帯のコピーも自分で書いたワケ

 

原田 小説では、いかにもゴッホと林忠正が友情を結んだ風に書いていますけど、実はこの両者に交流があったという史実は何も残されていないんです。物語は1886年からスタートしますが、全く同じ時期に林忠正がパリに日本美術を扱う店を既に構えていました。同じ時期にテオがグーピル商会という老舗画廊に勤めていて、そこに兄のゴッホが転がり込んだのは事実です。同じ時期に同じパリにいて、それぞれが浮世絵画に近いところにいた。……ということは、二人は接触していて当然だろうと思いました。ところがその史実は何も残っていない。唯一手がかりと呼べるものは、ゴッホ展のカタログの表紙になっている英泉の花魁図です。『パリ・イリュストレ』という当時の雑誌があるのですが、その表紙を英泉が飾った号で、林忠正は寄稿しています。ゴッホがそれを読んでいないわけはないし、林忠正はすぐ近くで店を出していること、そこに浮世絵があるということも知っていたはずです。

だけど研究者の立場だと、二人が友人だったとは言えません。なぜなら証拠がないから。そこにこそフィクションを立ち上げるというのが、私がやろうとしていることなんだと思います。二人が友情を結んだという部分は、私のフィクションです。この両者は実際には親交を結んでいないかもしれないけれど、確実に当時林忠正はパリで浮世絵ブームの一端を担っていたし、その恩恵や影響を受けたのがゴッホ兄弟だったということは間違いありません。一人の日本人としても、それをはっきりと文章に残しておきたかった。というのも、林忠正って、日本における“グローバルビジネスマン”のはしりだっだと思うんですよね。“クールジャパン”なんていう言葉が生まれる100年も前から日本のアートを引っ提げて世界に挑んでいる。しかもたった一人、孤立無援で。ゴッホもオランダからやってきて、なんの土壌もない場所で、アバンギャルドというアートの扉をこじ開けようとしていた。それぞれにパリという舞台で戦っていたんだと思う。

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