映画の誕生を見届ける職人集団 " 東京現像所 / Togen " 08:映画に感動を焼き付けたカラー現像とタイミング フィルム時代を見つめ続けた Togenスタッフインタビュー

東京現像所は、フィルム時代から今日に至るまで、映像業界の発展に寄与してきた幅広い映像作品の総合ポストプロダクション。劇場用映画・TVアニメからネット配信コンテンツなど、撮影データから初号完成に向けたDIを始めとする、長年の経験値を織り交ぜたポスプロ作業やヒューマン・ソリューションを提供。新作のポスプロの他にも、名作映画・ドラマなどの貴重なフィルムやテープ素材をデジタルデータに置き換え、必要に応じて高品質のデジタルリマスタリングを行う「映像修復 (アーカイブ) 事業」にも力を注いでいる。(東京現像所沿革

2023年11月30日に、惜しまれつつも全事業を終了する。事業終了した後、DI事業、映像編集事業、アーカイブ事業は、東宝グループに承継される。

カラー映画の需要が高まりつつあった1955年、既存の東洋現像所(現IMAGICA)に競合する大規模な現像所として設立され、それから68年にわたって、映画・アニメ・TVを中心として映像の総合ポストプロダクションとして数々の名作を送り出してきた。

かつてはフィルムで編集・上映が行われてきた。ネガの現像後、監督・カメラマン・タイミングマンが試写を確認し、粗編集、本編集を行う。戻ってきた原盤をクリ二ーングしてから焼き付けて、修正を重ね許可が出たものを東京現像所が焼き増しし、全国の映画館に届けていた。ここでは、タイミングを担当していた小泉洋子氏とフィルムのメンテナンス、クリーニングや焼き増しを担当した長 豊氏、田村正人氏に話を伺った。

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フィルム現像とタイミング

――「タイミング」とは、どういう仕事になりますか?

小泉 タイミングは、ネガからポジを起こすときにどういった色合いにするかをコントロールする部門になります。ネガを作るときにどういうネガにするのかというのもコントロールしますが、基本的には最終的にポジをどういう上がりにするかをトータルでコントロールする部署になります。

――撮影されたものが、どういう状態の絵になっているかは、ここで初めてわかるわけですか。

小泉 一番最初に撮影されたネガはここで初めて画がわかります。ネガは基本的にオレンジベースで、反転した画になっています。目視ではどういった上りになっているかの判断が難しいので、カラーアナライザーで色を見ていきます。これがRGB(赤・緑・青)に連動していて、その3つをコントロールすることでどういう色にするかを決めていきます。

――撮影時には意図から外れる色になることも?

小泉 撮影条件はどうしても一定じゃないと思いますので、同じシーンでも午前中から夕方にかけて撮影されたり、昼のシチュエーションなのにどうしてもスケジュールの関係で夕方に撮影されてしまうこともあります。そうなると「タイミングの方でうまい具合につながるようにしてください」といったオーダーもあります。そういうときはここで見て、例えば色を少し抜いていったりします。

――どのカットの色を変えたかを、どうやって記録するんですか?

小泉 RGBの数値が0から50まであって、この数値を記録したものと、それが何フィート何コマなのかという数値がこの紙のテープに入っています。

――タイミングデータと呼ばれるものですね。

小泉 これがあれば何回でも同じ色の設定で焼けるんですが、時間が経ってしまったり、生(ポジの種類)が変わってしまったりすることもあるので、旧作なんかですと叩き台という感じで使っています。

映画に輝きをもたらすタイミング

――東京現像所では、最初からタイミングを担当されていたんですか?

小泉 最初はネガ準備という部署におりました。それが最初の1年で、その後からタイミングの方に配属されております。タイミングは16、17年くらいになります。

――担当された作品の中で、印象的なものは?

小泉 最初の10年くらいで、もうフィルムの新作がなくなってしまったんですけど、最後の方で印象に残ったのは小泉堯史監督の作品でした。『蜩ノ記』ですとか、非常に楽しくお仕事させていただきました。あと先輩についてやった海外作品も印象に残っています。洋画もいろいろ大変なものがありました。新作がなくなって途中からは旧作関連のタイミングをさせていただいております。

――旧作のニュープリントや、デジタルリマスターを作る際にもタイミングデータは活用されるようですが、全てがそのまま使えるわけではないんですね。

小泉 1990年代以降のものだとほぼ活かせるんですけど、70年代のものとかになるとガタガタで使えなくなってしまって。プリンターの仕組みも全然違ったりしますので。

――最近は、国立映画アーカイブで[再タイミング版]という、再度タイミングをやり直して、公開当時に近い色彩を再現する試みが行われていますね。

小泉 私も『お葬式』の再タイミング版をやらせていただきました。

――『お葬式 [再タイミング版]』は、これまで名画座で観ていたプリントやBlu-rayと違う鮮やかな緑が印象的でした。撮影に使われた湯河原の伊丹邸を囲む緑がこんなに深みある色を放っていたかと驚きました。

小泉 当時タイミングを担当したIMAGICAにおられた鈴木美康さんに付いていただいて、再タイミングを行いました。それが2019年でしたが、今年も別の作品で再タイミングを行いました。

――[再タイミング版]の上映で、タイミングという仕事が一般にもわかりやすくなってきたと思いますが。

小泉 単純に色を作るというだけじゃなくて、新作ですと初号を上げるまでのやり取りがすごく大変で。カメラマンの方と直にやりとりすることもあるんですが、撮影中は撮影助手のチーフの方とやり取りすることが多いです。もうほとんど毎日のように電話で上がりを報告したり、あそこに影が出てるとか、そういう話をします。向こうから逆に、何カット目はどうしても光量が足りなかったので、ラッシュのときに補正してほしいとか、そういったやり取りもあります。オプチカル(光学処理)部分も、昔はそういうものとして受け入れられていたのですが、最近はかなりいいものをあげないと違和感があるようになったので、その辺のコントロールもタイミングでしていました。

東京現像所とフィルム

――お2人は、どういった仕事を担当されていますか?

 私はアーカイブ1課の課長をやらせていただいています。主にはフィルムを現像する一連の作業と、フィルムのメンテナンスですね。それと兼務的な形で、実作業としては現像液を作ったり、それを分析したり。あとは排水があるので、公害問題とか環境対策を責任者としてやっています。

田村 アーカイブ1課の中にメンテナンスとフィルムイメージングの2つのグループがありまして、自分はイメージンググループで、フィルムのクリーニング、焼付、検査といったところを担当していました。

――1955年の創業以来続いてきたフィルム現像は、2023年9月29日の納品分を持って受付が終了しましたが、今ではデジタルが主流となり、フィルムで撮影、上映することも稀ですね。

 かつてに比べると、もう何百分の一ぐらいの話になってしまいます。たしかにネガ現像作業は、劇映画の作品は少なくなってしまったのですが、CMやミュージックビデオでは、まだ少し仕事がありました。ポジ現像に関しては、古い作品のフィルム映写をやっている、例えば国立映画アーカイブ、ラピュタ阿佐ヶ谷といったフィルムアーカイブや名画座の仕事と、「フィルムしおり」の作成というのがありまして、その2点をメインで行っていましたね。

――「フィルムしおり」は、劇場や円盤の特典として、デジタルデータ(動画)からネガフィルムを起こして、ポジフイルムに焼き付け、5コマ前後に切り分けたグッズですね。最近は、『ケイコ 目を澄ませて』など16mmを使用する映画や、ミュージックビデオが再び目につくようになりましたが、ラボとしてもそうした実感はありましたか?

 ネガ現像作業は、最後の最後は、ほぼ16mmのみになりました。これはちょっとびっくりしました。ずっと35mmの方が多かったのですが。16mm現像に関しては、弊社では制作映画は稀でしたが、企業のミュージックビデオやインターネットCMが多かったですね。

フィルム現像の流れ

――改めて、現在のフィルム現像の流れを教えていただけますか?

 撮影されたフィルムがこちらに来ると、現像機にセットできる状態にして、まずネガ現像を通します。それを検査してからクリーニングに回して、フィルムを綺麗にしてからスキャン作業を行います。そこまでが我々の仕事でした。

――今ではフィルムで撮影したとしても、編集作業はデジタルで行うので、ネガ現像を終えると、スキャンして、デジタルデータにするわけですね。そこからはコンピュータに取り込んで、編集ソフトを介して編集が行われるわけですね。編集・上映をフィルムでやっていた時代はどうでしたか?

田村 邦画の場合は、ネガ現像を行った後に、監督、カメラマン、タイミングマンがみんなでラッシュ試写を見て、そこから粗編集、オールラッシュ試写、本編集を行います。その後、こちらへ戻ってきた原版を、ネガ準備担当がサイン付けやスプライス箇所の耳貼りを行い、次にタイミング担当がタイマー作業や、焼付テストを行います。最後にクリーニング担当が水洗いやクリーニング作業を行ってから本番を焼き付けます。1回目をゼロ号って呼ぶのですが、監督、カメラマン、タイミングマン、音響、他色々な関係者が見て、直した2回目が初号という形になり、初号がOKになったら必要な分だけ上映プリントを焼き増ししていきます。

――外国映画の場合はどうなりますか?

田村 洋画に関しては、最初に配給会社からの指示で、輸入のインターネガが入ってきまして、それをまず傷がないかチェックした後に、洋画編集担当がリーダーの取り換えやサイン付け、字幕ネガを字幕担当の指示通りに作成し、画・音・字幕ネガのトータル編集を行います。次にタイミングで焼付テストを行い、クリーニング後1本焼いて、配給会社、字幕担当、弊社の関係者で見て、良ければOKになるという流れです。


――検査を行っていて問題が発生することもあるのですか?

田村 長い間やっていると、色々な事がありました。音が数十コマずれていたり、画と音の巻数が違っていたり、プリンターのトラブルで揺れが発生したり、現像で傷が発生したり、焼付けたプリントに目立つゴミが発見されて、気付くまでに焼いたプリントを全数確認し直しになったり。劇場からのクレームもデジタル音声が再生されないとか、汚れが気になるとか、返却されたプリントを映写で確認して都度対応していました。

映写用プリントとシネコンブーム

――東京現像所では16mm、35mmのカラーネガ現像機と、カラープリント現像機、35mmの白黒ネガ・ポジ兼用現像機などが揃っていましたが、全国の映画館に届けられる映写プリントを焼き増しするのに、どれくらいの時間が?

田村 夏など季節的に重なるときは、短時間で何百本と仕上げなきゃいけないときがありました。そのときはスピードを変えて1分間に480フィートを処理する設定で稼働させていました。1分間で240フィートが基本なので、1作品がフィルム6巻から7巻と計算して、1つのロールが大体7~8分ぐらいで焼き終えちゃうんですよ。ですから7台のプリンターで同時にスタートさせれば、7~8分で1作品が焼けます。

――1本の作品を、何百本と焼くわけですね。

田村 例えば、『レッドクリフ Part I』550本、『ハムナプトラ3』500本、『アバター』だと、IMAGICAさんと弊社の2社でやって700本。それでもいろんな作品も重なってくると、ひと月で1,500本単位みたいな感じになっていました。そうなると、プリンターは常時7台を動かして、焼付・現像・検査は3交代で焼き増しをやって‥‥とにかく大変でした(笑)。

――映画館の増減というのも関係してくるわけですか?

田村 やはり、シネコンの増加は大きかったですね。焼きのスピードを上げて、現像も高速現像機を導入して対応しないと追いつけない状況が発生しました。

――映画黄金時代のプログラムピクチャでは、公開の3、4日前まで撮影していて、そこから編集、ダビングを行ったというエピソードがありますが、全国で上映するための映写用プリントはどうしていたんだろうと思っていましたが。

 もう徹夜でやっていたんでしょうね(笑)。『男はつらいよ』なんて正月公開ですから、寅さんが終わるまでは年を越せないという感じで毎年やっていたみたいですね。大変だったという話はOBの方から聞きます。その後、ちょっと落ち込んだ時代がありましたが、われわれがこの仕事に携わった頃はシネコンブームで、またすごい大量焼き増し時代が来ました。

 

フィルム時代の終焉

――シネコンの普及によって、現像所としては最後の黄金時代を迎えたわけですが、その後、急速にフィルムからデジタルへと転換していきます。撮影もデジタルカメラで撮影されるようになり、上映もフィルムではなく、DCPで行われるようになりました。

 もう、ついに来たかと思いましたね。写真なんかはもうデジタルになっていたので、「いつかは‥‥」っていう覚悟はどこかにあったんですけど、本当に急にガクッと変わりましたからね。少しはフィルムも残っていくんだという話だったのに、もうほぼゼロになって。そこは、ショックでしたし、びっくりもしました。

田村 自分はこの会社にアニメの撮影助手で入ったのですが、アニメの撮影がデジタルに変わるのはすごく早くて、あっという間に切り替わりました。弊社のアニメ撮影事業も終了する事になり、自分は焼付への配置転換になったのですが、デジタルへの移行は、下地を作るのは大変でしょうけど、作ってしまえば、もうあっという間に変わるという印象がありました。

――デジタルで撮影しても、フィルムレコーディングして35mmにするという時代もありましたが、DCPへの移行も一気に進みましたね。

田村 最初は予告編をDCP化するっていう事で、それまでループプリンターで焼いていたものがなくなって。本編も徐々にDCP化して、そこからはあっという間でした。

――その一方で、2010〜2013年にかけて行われた「午前十時の映画祭」では、名作を35mmのニュープリントで上映するのが話題となりました。

田村 あの頃は、輸入されてきたプリントを検査して、レーザー焼付で字幕を入れ、虎ノ門の試写室で、配給会社と検定試写を行っていましたが、名作をフィルムで上映するという、デジタル化に対する揺り戻しのような時期だったのか分かりませんが、心が少し動かされましたね。

――名画座が上映プリントのない作品や、傷んだ作品を、ニュープリントを自費で焼いて上映するという流れも目立つようになってきました。ラピュタ阿佐ヶ谷では、今「Laputa Asagaya 25th anniversary ニュープリント大作戦!」という開館25周年を記念した特集上映が行われています。これまで同館が自費でニュープリントを焼いてきた120本あまりから、46作品を厳選した特集ですが、この特集でも新たにニュープリントを焼いています。

田村 弊社もラピュタ阿佐ヶ谷には、年に6作品ぐらい納品させていただいていたのですが、今年も7月納品分が2作品ありました。ラピュタ阿佐ヶ谷や、国立映画アーカイブに納品するプリントは、ウエットプリンターを使用して、溶剤液の中にネガ・ポジを潜らせて焼き付ける作業をしています。その作業を行う事により、光の屈折等で表面上の傷も目立たなくなりますし、見た目に綺麗なプリントがあがってきます。こうした作業はIMAGICAでも行われてると思いますので、今後ニュープリントを起こす際は一択になりますね。

東京現像所の時代を振り返る

――間もなく東京現像所は全事業を終了しますが、振り返られると、どんな思いが?

 私は現像というより、液を作ったりする部門だったので、ネガ現像に関しては失敗できないところでした。ポジ現像もとにかく大量焼き増しで忙しかったですね。仕事なので楽しいというわけではなかったのですが、もうここで事業終了って聞いた瞬間は、やっぱりすごく寂しかったし、終わってしまうっていう思いがありました。改めて振り返ると、20年近くやっているんですけど、やっぱり、なくなるのは寂しいですね。それでも、やって良かったと思います。映画が好きだったので、映画に貢献できたのかなと。

田村 会社に入って12年アニメ撮影を行っていました。アニメがデジタル化したことで、映画フィルムの焼き付けをする事になり、トータルすると、30年近くこの会社にいて、人生の大半を過ごしていたので、フィルムの業界で多少は役に立てたのかなと。まだ道半ばって言いたかったのですが、今年で終わりということで、何とも言えない気分ですね。

 もうちょっと続くかなと思っていたんですけどね。

田村 何かしら残るんだろうなと思っていたので、事業終了って聞いたときは、本当にわが耳を疑ったというか、びっくりしました。

――シネコンが次々に出来たことで、フィルムの需要が急速に高まる時期を体験されたのは、やりがいがあったのでは?

 この20年でも、最初の10年と、後の10年では全然違いますね。フィルムの最後の全盛から、終わっていくまでですから。でも、フィルムの全盛を経験できたのは良かったなと思いますね。フィルムが終わっていくところだけだと寂しすぎるので、活気のある時代を経験できて自分にとってはすごく良かったと思います。大変でしたけど(笑)。

田村 もう、本当に戦場だったなと(笑)。早く焼かなきゃいけないという気持ちと、観る方のためには一定のクオリティで出さなきゃいけないという思いのせめぎ合いでしたね。あんなことあったな、こんなこともあったなと振り返ると、バタバタしてた記憶しかないんですが、あの頃には戻りたくないなと思いつつ、いろんなことを思い出しますね‥‥。

取材・文 / 吉田伊知郎
撮影 / 岡本英理


(解説) フィルムと保存棚

「初号同時」と言ったり「短冊」と言ったりしているのですが、初号を焼くときにトップから何フィートか余分に焼いてもらうんです。それを取っておくことによって、後から追加でオーダーが来たときに、この作品はこういうふうに焼かれていたという参考用のフィルムとして使用しています。

これは映画が好きな方なら見たら喜ぶのではと思います。私も入ってきたときに夢中で見ていました(笑)。70ミリも入っています。黒澤明監督の作品もありますが、うちの会社ができる前に作られた作品もあるので、必ずしも初号同時ではないのですが、かなり貴重だと思います。今のところ今後どうなるかは決まっていません。(小泉)

(解説) 35mmノーマルプリンター

タイミングで作成したタイミングテープをテープリーダーで読み込ませ、走行をスタートさせると、青・緑・赤のライトバルブが、タイミングテープの指示通り、開いたり閉じたりしながら色を調節しつつ焼き増しが行われます。

1分間で240フィートのスピードで走行します。(最大480フィート)晩年はしおりの焼き増しや、劇場作品としては、字幕付作品の焼き増し作業を行っていました。(田村)

(解説) 35mmウエットプリンター

溶剤液を用いたプリンター。基本的な動作はノーマルプリンターと同じです。画ネガを焼き付けるヘッドを覆う様にブラックボックスがあり、その中に溶剤液が入っています。ネガとポジが密着して液中を潜りつつ焼付を行い、その後乾燥させて巻き取るのですが、その乾燥箇所の仕様により、字幕ネガの同時焼付は不可能となります。

1回スタートさせると中が見えないので、いつもドキドキしながら作業していました。今年7月頃まで稼働していましたが、色々苦労させられたので思い入れはすごくありますね。これはスピードが遅くて、1分間90フィートなので、1ロール15分位かかります。(田村)

(解説) 16mmウエットプリンター

アニメーション作品のインターミディエイトポジ作成作業に使用していました。カラーベルと呼ばれるプリンターをドイツに送り、ウエットゲートを付加して頂き改造してあります。細かいローラーが多数あり、最初に見たときはセットの仕方が覚えられるのかと焦りました(笑)。これも原理としては同じで青・緑・赤の3色が光ってライトバルブで調整して焼き付けます。(田村)

プロフィール

(写真左側より)

田村正人 
(映像本部 映像部 アーカイブ1課 フィルムイメージンググループ長 課長)

長 豊  
(映像本部 映像部 アーカイブ1課 課長)

小泉洋子 ※写真未掲載
(映像本部 映像部 アーカイブ1課 フィルムイメージンググループ)

株式会社東京現像所 (TOKYO LABORATORY LTD.)

所在地:本社 東京都調布市富士見町2-13

1955年、東宝・大映・大沢商会など、映画関係各社の出資により設立2023年11月30日に全事業を終了。