Oct 08, 2026 interview

滝藤賢一インタビュー 三國連太郎の1枚の写真が導いた、家族のもとを去る父の役作り 映画『遥かな町へ』

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――最初に映画をやりたいと思ったのが、塚本晋也監督との出会いとお聞きしています。その後、原田眞人監督との出会いがあり、私自身も確かに原田監督の『クライマーズ・ハイ』(2008)でクッキリと滝藤さんを記憶しました。やはり最初の人との出会いは、その後の俳優人生に影響を与えるものですか。

それはそうですね。原田監督に関しては、もろじゃないですか。塚本晋也監督にキッカケを作っていただき、仲代達矢さんに育てられて、原田監督に世の中に出して貰えたと思っています。だってあの時点の僕に『クライマーズ・ハイ』の【神沢周作(地域報道班)】役をキャスティングしてくれるなんてどうかしてると思いましたよ。狂ってる。あんなキャスティングができるのは、原田監督しかいないと思っています。あの役はオーディションでした。僕らの世代だったら誰もが“やりたい”と思います。原田監督には頭が上がらないです。怖かったですけど‥‥(笑)。

――仲代達矢さんは滝藤さんにとってどんな存在ですか。

仲代さんなくして僕はないです。怖かったですけど‥‥(笑)。多くのことを学びました。それに仲代さんに教わった俳優はそんなに多くないですよね。それってスペシャルじゃないですか。なんか格好良いっすよね「師匠は仲代達矢です」って(笑)。もし他の俳優さんが言ってたら僕嫉妬しますよ。それに先日、ニュージーランドに行ったんですが、あるお店で「あなたは仲代達矢に似ている。俺は仲代達矢のファンだ」と台湾の方に声をかけられたんです。

――あ、確かに似ているかも。歳を重ねて近づいてきている気がします。

僕はそんな大それたこと微塵も思ってませんからね(笑)。「去年亡くなった」と伝えたら「知っている。とても悲しい」と言っていました。だから「僕は仲代達矢のstudent(生徒)だ」と伝えたら、ウオ~ッてなって、一緒に写真を撮りました(笑)。

――そう考えると感慨深いですよね。今は滝藤さんが次の世代に継承する世代になりましたし。次の世代に何か継承したいことはありますか。

ないですよ(笑)。無名塾時代仲代さん以外の人がダメ出しをするということは許されませんでした。なので他の俳優さんがどんなお芝居をされても、こうすればいいのにとか思いもしません。僕の性格上、人から何かを得ても何かを与えることは難しいように思います。