Aug 10, 2017

コラム

ラジオで喋った経験のない藤井青銅が、朝の2時間生放送に抜擢

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 埼玉県に「ナックファイブ」というFMラジオ局がある。開局時の正式名は「FM埼玉」だった。愛称が「ナックファイブ(NACK5)」。
 開局前、ナックファイブの編成部長(番組を決めるエライ人)に、聞いてみた。
「なんでその愛称なんですか?」
「周波数が79.5MHzだから」
「ダジャレですか!」
 言ってしまえばそうなんだが、新しくできる放送局の周波数を覚えてもらうためには、よくできたダジャレだと思う。誰が考えたんだろう? 1988年のことだ。
 現在は、正式社名も「エフエムナックファイブ」になり、地元の人気局になっている。

 なんで開局前のそういったやりとりを知っているのかというと、実はぼくは、このFM局が開局した時、パーソナリティーをつとめていたからだ。

 新しい放送局の開局に立ち会うというのは、なかなか経験できることではない。それは能力云々の問題ではなく、タイミングの問題だ。ネットラジオや、ネットの動画チャンネル、CS放送と違って、地上波のラジオ、テレビというのは免許事業だ。そう簡単に開局できるわけではなく、国の方針もある。
 ちょうどこの頃、バブル経済が盛り上がっていたので、全国で新規のFMラジオ局、テレビ局(U局)の開局ラッシュがあったのだ。
 首都圏では、
1985年12月開局 FM横浜
1988年10月開局 J-WAVE
1988年10月開局 ナックファイブ(FM埼玉)
1989年10月開局 ベイエフエム(FM千葉)
 少し遅れて、
1995年11月開局 東京MXテレビ
1996年4月開局  インターFM
 だった。

 新しい放送局というのは、24時間・一週間の新番組を一気に立ち上げなければならないので、大変だ。そこで、
「ドサクサに紛れて、喋れないかしらん?」
 と考えた。
 ぼくは放送作家になってほぼ10年。ちょっと、ふだんとは違うことをやってみたかったのだ。とはいえ、それ以前に一回も、放送で喋ったことはない。
 けれど、「ラジオってのは、誰が喋ったっていい」と、ぼくは思っていたのだ(実はテレビも、誰が出たっていい、と思っている)。そりゃ、ルックスは整っている方がいいし、滑舌もちゃんとしている方がいい。だけどそうでなくても、なんか面白いことやヘンなことを言う人、変わった肩書であったり偏った専門知識を持つ人が、端っこの方にいたっていいんじゃないか、と。

 たまたまFM埼玉の編成部長が知り合いだったので、図々しく企画を出した。夜の目立たない時間帯の、30分程度の録音番組。お笑いタレントとぼくの二人で喋る企画だ。プロと一緒なので、気が楽だ。録音なので、間違ったら録り直せばいい。喋り手初心者としては、非常に安心できる企画だ。
 しかしこの企画は、アッサリ却下された。そりゃ、そうだよなあ。

 ところが、数日後、
「藤井さん、週一回、2時間の枠で喋る気ない?」
 と言われたのだ。
「え? 2時間? …ということは、生放送ですか?」
「そう。朝の生ワイド」
 今まで一回もラジオで喋った経験のない作家に、朝の2時間生放送を喋らせようというのだ。冒険を通り越して、暴挙だ。しかしこっちも、一度は「喋りたい」と企画書を出した身だ。今さら断る立場にない。
「わかりました。やりましょう」
 と引き受けた。頼む方もどうかしてるが、引き受ける方もどうかしてる。FM埼玉開局まで、あと数ヶ月しかなかった。

 

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藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

藤井青銅著「ラジオにもほどがある」(小学館刊)
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