Jul 05, 2022 column

映画『哭悲/THE SADNESS』からみるホラー映画の過去と現在

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誰もホラーの定義を決められない

本作『哭悲/THE SADNESS』を観れば、古き良きホラー映画に多くの影響を受けていることが分かるだろう。監督ロブ・ジャバズは、好きな映画監督に、巨匠デヴィッド・クローネンバーグをあげる。

「彼は非常に洞察力に満ちている監督だと思います。彼の作品である『シーバース』は今作と似ている部分がありますが、これを70年代に作り上げて、さらに成功させたという前例は非常に素晴らしいものだと思います。他にも80年代に『戦慄の絆』や『ザ・フライ』などでグロテスクなシーンやキャラクター同士の関係性をものすごく上手に描いて、ただのホラーではなく人間らしさを取り入れたり、90年代の『エム・バタフライ』や『裸のランチ』で視覚効果や感情に満ちたシナリオを作ったりと、本当に他の監督たちとは全く違っていて、私自身、彼のレベルには到底追いつけないと思っています」

ホラー映画のいいところは、過去作品にリスペクトがあって、オマージュすることに寛容なところだ。ファンも決してパクリと揶揄することはなく、なんなら、”殺されるのは調子に乗ったウェイ系ティーンエイジャー”とか”惨劇の舞台はたいがいキャンプ場やキャンパスなどの特定空間”などと、ルールとしてホラーのお約束を楽しんでいる。

しかし、ホラーには作品を表現する言葉が多すぎて、どんな作品がそれに当たるのか分かりづらい。『バイオハザード』シリーズをホラーと呼ぶ人もいれば、そうではないと言う人もいる。観る人によって、または時代によってホラー映画は違うのだ。今まで偉大なる諸先輩たちが、決められていないのだから、ここで何がホラーで何がそうでないか、など選別することなんて、どんなホラー映画より怖い所業なのだ。

どうしてこうなったかというと、少し歴史を遡らなければならない。

ホラーの原点と呼ばれるのは、ドラキュラやフランケンシュタインなどの怪人ものだ。これら古典ホラーと呼ばれる作品に始まり、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(60)、『ローズマリーの赤ちゃん』(68)のように、現代の都市を舞台とした作品をモダン・ホラーと呼ぶようになる。

このモダン・ホラーが、70年代〜80年代にかけて隆盛を極める。『エクソシスト』(73)、『悪魔のいけにえ』(74)、『ジョーズ』(75)、『キャリー』(76)、『ゾンビ』(78)、『ハロウィン』(78)、『シャイニング』(80)『13日の金曜日』(80)、『遊星からの物体X』(82)、『ポルターガイスト』(82)、『エルム街の悪夢』(84)など、今なお語り継がれる誰もが知る名作が続々と排出される。

家庭用ビデオデッキが70年代半ばから80年代にかけて普及し、ホラー映画は転換期を迎える。多くの作品に説明が必要ということで、ただのホラー映画と呼ぶのではなく、サブジャンルが生まれた。

『サイコ』で一躍認知された、頭のおかしいやつ、つまりサイコパスが犯人であるものを「サイコ」と呼び、『エクソシスト』のように、悪魔や幽霊、呪いが主題のものは「オカルト」。『ジョーズ』に代表される巨大生物vs人間の構図で描かれるのが「動物パニック」で、『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスのようなイカれた殺人鬼が刃物で殺しにかかる「スラッシャー」。『遊星からの物体X』のようにUFOや宇宙人が出てくれば「SFホラー」といった感じだ。