Oct 03, 2019 column

藤倉大、ブーレーズを語る

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戦後フランス最大の音楽家のひとり、ピエール・ブーレーズ(1925-2016)が亡くなって3年がたつ。類まれな知性と透徹した音の美学によって音楽界をリードしてきたブーレーズは、いまもなお参照すべき道しるべのような存在である。ここでは、生前のブーレーズと親しかった、ほぼ唯一の日本人作曲家である藤倉大さんにうかがった貴重なエピソードを交えつつ、改めてブーレーズの人と音楽を振り返ってみたい。

いまでも、ブーレーズが生きていてくれたらなあ、と思うことがしばしばある。若さとルックスと、コンクールの勝敗と、ビジネスに役立つかどうか、そればかりが注目されがちな現代のクラシック音楽界を見ていると、ことさらそう思う。

作曲家としても指揮者としても超一流。単にすぐれた音楽家というだけにとどまらない、知的で鋭い言葉を発することができ、どんなジャンルの一流の人物とも堂々と渡り合えるような、ヨーロッパの頭脳ともいえる教養人。

IRCAM(通称イルカム、フランス国立音響音楽研究所)の創設者であり、現代のパリの総合的音楽文化施設「シテ・ドゥ・ラ・ミュージック」の提唱者でもあったブーレーズは、クラシック音楽界の古い因襲に対して、常に挑戦的で自由な思考の持ち主であり、たぐいまれな行動家でもあった。

ブーレーズの音楽の魅力は、あの指揮の身振りに端的に表れている。激しい表情や動作で注目を集めるような派手さはない。指揮棒は持たない。淡々と最小限の指示で、事務的なくらいに明晰に冷静に、きびきびと指揮する。燕尾服は着用せず、ごく普通のネクタイとスーツ姿。いかにも芸術家という雰囲気はこれっぽっちもなく、むしろ銀行員のような感じ。それなのに、そこからは、危険なまでに官能的で、輝かしく、圧倒的な存在感のある音楽が、常に立ち上がってくる。それはもう、謎というほかない。

藤倉大

作曲家

ブーレーズの作品を聴いていると、まるで僕のために書かれているような気さえするんです。後期の『シュル・アンシース』や『レポン』もそうですが、ここぞというときにバーンと入るし。痒い所に手が届くみたいな。あーんそこそこ(笑)みたいな快感な音楽というか…。 『ル・マルトー・サン・メートル』みたいに、好きになるのに時間のかかった曲もあるんです。あまりにも複雑なので。音符じゃなくて音楽そのものがね。でも、『メサジェスキス』なんかもそうですが、ブーレーズの音楽には、“ファン”がある、つまり楽しい。センシュアル(色気、官能性。といってもセクシーとは違う、気品のあるもの)ですよね 。

『レポン』は、ブーレーズ自身が最高傑作のひとつとして挙げている作品であり、1995年5月に東京で開催された伝説のイヴェント、「ピエール・ブーレーズ・フェスティバル」でも、メイン曲目として日本初演され、多くのファンに衝撃を与えた。オーケストラを囲むように配置された聴衆の一人として、筆者もその現場に立ち会うことができたが、まるで未知の宇宙への星間飛行へといざなわれるような、エキサイティングな音楽体験であった。あの音楽の正体は何だったのか、いまもずっと考え続けている。それくらい、いつまでも余韻を引くような音楽を作る人だった。

ブーレーズについて藤倉大さんに話を聞いた  撮影/森山祐子