それ自体は、震災そのものとは全く無関係なもので、他の人からすれば「なんでそれで?」かもしれない。しかし、その人にとってはそれが“あの時”“あの後”の記憶や感情と直結する役割を持ってしまっているものがある。感情や記憶におけるある種のスイッチだ。人によっては食事であったり、本であったり、映画であったり、何かの物であったり、服であったり、音楽であったり。それを見る、聴くと、あの時の記憶がよぎる。そういうもの。僕にとってはこの全面広告はそれだ。 その日にこれを見た瞬間、涙がボロボロと溢れてきた。「深夜アニメにもかかわらず注目を集めた作品で、最終回放送は新聞に全面広告が」ということが話題になったが、僕はこの広告を見たとき、脳裏に“それまでの1ヶ月”が一気に降りてきてしまった。
連日続いた震災報道が終わりアニメのような娯楽番組も放送できる日常が戻りつつあるという前向きな変化と、その1ヶ月で(それは僕個人の周囲ではないにしても)失われたものの多さと大きさという戻りようがないもの。なによりもその中で痛感させられた自分という人間の無力さ。そのことに自分の中でどうしても整理も付かないし、折り合いが付かなかったのだと思う。「だと思う」というのは曖昧だが、6年間考えてもいまだに自分の心の何がそうも掻きむしられたのか、正直ハッキリとわからない。とにかく、涙が止まらなかった。
“アニメを放送できる日常が戻ってきた”というのも違うだろう。連日伝わってくる被災地の惨状は何も変わっていなかった。喪われた人たちが戻ってくるわけもない。避難を余儀なくされた人たちの状況に明るいものが照らされていたわけでもない。復興はあまりにも遠い先の話だ。原発事故も解決が全く見えなかった。住んでいた町を出て行かざるをえなかった人たちがいつ自宅に帰れるのかもわからない。冷静に考えれば何も戻ってはいない。
けど、テレビはほんの少しだけ報道特別番組以外のプログラムを流すことに振り戻った。 この当時にWOWOWが流していた「エンターテインメントにできること」というコピーが僕は好きだ。テレビも映画もマンガも小説も音楽も、おそらくエンターテインメントに携わっていた人の誰もが自身に言い聞かせた言葉ではないかと思う。無力感に対し、ほんの少し背中を押してくれ、何なら出来るかを考えさせてくれた言葉だ。 そして、アニメファンの背中をほんの少しだけ押してくれたのが、この最終3話一挙放送に感じたことだったのかもしれない。僕にはこの広告が“震災直後”が“震災後”へと移ることを宣言するものに思えた。ほんの少しずつでも進んでいくという宣言だ。