Aug 03, 2026 column

100年分の映画愛を込めて 『ミニオンズ&モンスターズ』は創造する喜びであり原点回帰である

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ミニオンズが1920年代のハリウッドへ。新たな三人組が映画作りに挑み、サイレント喜劇から古典モンスター、往年のSFまでを縦横に駆け回る。ジョージ・ルーカスまで本人役で登場する『ミニオンズ&モンスターズ』(8月7日公開)は、100年分の映画愛を詰め込んだ、騒々しくも幸福な映画礼賛だ。

ミニオンズ、映画と出会う

ミニオンズといえば、怪盗グルーに仕える黄色い小さな軍団。あるいは、ケビン、スチュアート、ボブの三人組を思い浮かべる人が多いだろう。彼らはこれまで、時代を超えて「最強最悪のボス」を探し続け、ようやく理想の相手を見つけても、なぜか最後は自分たちの手で破滅させてきた。

そんなおなじみの笑いを受け継ぎながら、最新作はシリーズとは少し違う場所から物語を始める。中心となるのは、豊かな想像力を持つジェームズ、その才能を誰より信じるヘンリー、耳が不自由で独自のサインを使うエドという新たな三人組だ。

彼らがたどり着くのは、映画産業が急成長していた1920年代のハリウッド。そこでジェームズは、頭の中の絵や物語を動く映像に変えられる「映画」と出会う。今回は、誰かの野望を手伝うのではなく、自分たちの夢を見つけ、仲間と映画を作ろうとする物語なのである。

主人公も舞台も、これまでとは一味違う。過去作をすべて見ていなくても問題はない。むしろ、サイレント映画からトーキーへの移行、古典モンスター、往年のSFといった題材が、「アニメーションはちょっと」と敬遠してきた映画ファンを、すっとこの世界へ招き入れてくれる。

言葉が通じなくてもわかる面白さ

冒頭には、『スター・ウォーズ』(1977)の生みの親ジョージ・ルーカスが本人役で登場し、自ら声まで担当する。映画史そのものを遊び場にする本作に、これ以上ふさわしい幕開けもない。

ただし、この映画愛は、有名作を並べた名作当てクイズではない。本作の監督であるピエール・コフィンは、『怪盗グルーの月泥棒』(2010)以来、ミニオンズの声を担当し、キャラクターを育ててきたフランス人アニメーターだ。

幼い頃、テレビを見せてもらえたのは、父親が古い白黒映画を見るときだけだった。後にパリのアニメーション学校ゴブランで学び、チャーリー・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドらサイレント喜劇の動きと間が、テックス・アヴェリーらのアニメーションへ受け継がれていることを知ったという。

ミニオンズは何をしゃべっているのか、正確にはほとんど分からない。それでも、怒っている。企んでいる。助けを求めている。調子に乗っている。その感情は一目で伝わる。この「言葉が分からなくても通じる」力こそ、ミニオンズとサイレント映画を結び付けるものだ。サイレント映画で磨かれたのは、台詞に頼らず、表情や体の動き、物の位置、行動のタイミングだけで状況と感情を伝える技術だった。

階段を上る。転ぶ。本人だけが背後の危険に気づかない。観客は説明されなくても次に何が起きるのかを理解し、笑いながらハラハラする。劇中の動きには、命がけのスタントに挑んだロイド、災難の中でも顔色一つ変えなかったキートン、笑いに哀愁までにじませたチャップリンの面影が重なる。

驚けば目も体も伸び、現実の法則まで飛び越える動きには、古典アニメーションの過剰な身体表現も息づく。つまりコフィン監督は、ミニオンズを昔の映画へ放り込むだけでなく、彼らの笑いをその源流へ連れ帰っているのだ。

映画史をなぞるように動くミニオンズ

撮影現場に迷い込んだミニオンズは、セットをめちゃくちゃにする。ところが、完成した映像を見たスタジオ幹部は、黄色い乱入者たちにスターの可能性を見いだす。台詞を覚えなくていい。脚本も読まなくていい。予測不能な動きそのものが芸になる。彼らは、まるでサイレント映画のために生まれた俳優なのだ。

ところが、映画がしゃべり始めた途端、ミニオンズはスターの条件から外れてしまう。同じ台詞を再現できず、脚本やカンペにも対応できない。サイレント映画では最大の武器だった自由奔放さが、トーキーでは致命的な弱点になる。

『雨に唄えば』(1952)が描いたのも、音声の登場によって撮影方法や演技、スターの条件が変わった時代の混乱だった。本作の1920年代ハリウッドの色彩や照明にも同作の影響があり、光と影、カメラアングルには『カサブランカ』(1942)などの記憶も重ねられている。新しい技術が現れれば、それまで重宝された才能が一夜で時代遅れになる。約100年前を舞台にしながら、どこか現在にも通じるところが面白い。

それでもジェームズは、映画作りを諦めない。自分が思い描いたものをスクリーンで動かしたいからだ。その衝動が、三人をモンスター映画の制作へ向かわせる。

ここにも、コフィン監督の原体験がある。10歳でアメリカに移り住んだ際、図書館でフランケンシュタインのメイクに関する本を見つけ、そのビジュアルに魅せられた。そこからミイラ男、ドラキュラなど古典モンスターの世界へ入ったという。

小さな緑色のモンスター、グーミーのデザインのベースは、タコのような頭部と触手、うろこ状の体と翼を持つ、H・P・ラヴクラフト作品の太古の怪物クトゥルフである。かわいいのに信用できないという落差が、ミニオンズの世界とラヴクラフト的恐怖をつないでいる。ちなみに巨大モンスターのハワードとフィリップスという名前も、ラヴクラフトの本名に由来する。

後半には、『地球の静止する日』(1951)や『禁断の惑星』(1956)に代表される古典SFから、『プラン9・フロム・アウタースペース』(1959)のような怪作、『ゴジラ』(1954)まで、さまざまな映画の記憶が入り乱れる。

元ネタを全部知っている必要はない。知らなくても怪物の造形とアクションで楽しめる。知っていれば、「そこまでやるか」ともう一度笑える。その二重構造が、オマージュを引用集で終わらせていない。

自分の想像を誰かと共有すること

『ヒックとドラゴン』(2010)や『ウィキッド ふたりの魔女』(2024)などを手がけ、2度のアカデミー賞候補となったジョン・パウエルの音楽も見逃せない。黄色い小さなキャラクターが転び、怪物から逃げ回る映像に、世界の運命を背負った英雄映画のような重厚な音楽を鳴らす。

コフィン監督とパウエルが目指したのは、「可能な限りシリアスな音楽」だった。画面で起きていることはばかばかしいのに、音楽は一切ふざけない。その落差が笑いを大きくする。150人の演奏者と65人編成の合唱団を起用し、旧MGMのスコアリングステージで録音したという本気ぶりも、本作の映画愛を物語っている。

劇中に登場するポスター、撮影用のカンペ、架空映画のタイトル、ジェームズのスケッチブック。画面の隅々にも映画史への遊び心が仕込まれている。後半はSF、怪獣、ロボットが一気に押し寄せ、やや詰め込みすぎにも映るが、その制御不能な過剰さまで含め、作り手の高揚感が伝わってくる。

物語の中心にあるのは、頭の中の世界を形にしたいと願うジェームズと、その夢を信じるヘンリー、エドの友情だ。ジェームズが求めているのは、名声や金ではない。自分の想像した世界が動き出し、誰かと共有される瞬間を見たい。それは、映画を作る人間が最初に抱く、最も素朴で純粋な喜びなのだろう。

サイレント映画を見たことがなくてもいい。ラヴクラフトも古典SFも知らなくていい。ミニオンズが何を話しているのか分からないのに、気持ちは伝わる。その不思議さを楽しめた時点で、観客はすでにサイレント映画の魅力に触れている。

『ミニオンズ&モンスターズ』は、映画史の知識を試す作品ではない。スクリーンの中で何かが動き出す。その瞬間を、ただ面白がる。本作が思い出させてくれるのは、映画を見る喜びの、いちばん原始的な形なのである。

文 / 平辻哲也

作品情報
映画『ミニオンズ&モンスターズ』

原始時代から最強最悪のボスを求めて彷徨い続けるミニオンズがたどり着いたのは、なんと“映画の都”ハリウッド。映画の撮影スタジオで甲冑姿の強靭な肉体を掲げるバイキングたちとの戦闘シーン。撮影にもかかわらず、監督の指示通りに “本気”の合戦シーンに挑み、バイキング役の男たちを偶然にも一網打尽にしてしまう。啞然とするも「カット!完ぺきだよ!」と成功を称える監督。撮影で大活躍したミニオンズは、監督へ「モンスター映画」を制作しようと提案することに。監督から「モンスター役はどうする?」と聞かれ、ミニオンズの呪文によって最強のモンスターを召喚‥‥するはずだったが、現われたのはミニオンよりもさらに小さな緑色のモンスター“グーミー”。「やめろ!このふとっちょ野郎!」と口だけは達者?なグーミーと共に、ミニオンズがハチャメチャ大騒動を巻き起こす。

監督:ピエール・コフィン
脚本:ブライアン・リンチ、ピエール・コフィン
製作: クリス・メレダンドリ、ビル・ライアン
製作総指揮: ブライアン・リンチ、クリス・ルノー
日本語吹替版キャスト:松平健、千葉雄大、鈴木愛理、山寺宏一、バッテリィズ、LiSA、銀河万丈、寺依沙織、小野友樹、芹澤優ほか
配給:東宝東和
© illumination Entertainment and Universal Studios. All Rights Reserved.

2026年8月7日(金) 全国公開

公式サイト minions.jp