Mar 24, 2021 interview

邦画界に新風を吹き込む『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』 池田暁監督が語る独自の映画レシピ

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映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』が来る3月26日(金)に公開される。

本作は、観客自身が持つ想像力との相互補完をもって完結する映画だ。物語に意図的に存在する[隙間]、これを埋めるのは私達の想像力であり、エンドロールはその作業をスタートする合図になる。観る側の記憶と心に[何か]を付着させるために、監督が本作に持たせた制限性は狙い通りに機能している。無機質な人間たちが醸し出す違和感は、我々の脳内で想像力と混ざり発酵を進めていく。もちろん発酵の土壌が違えば、生まれる[何か]は違うものになる。一見クラシックで懐古的にも見える作風だが、紛れもなくインタラクティブでダイバーシティな現代的映画だ。

今回『きまじめ楽隊とぼんやり戦争』の公開に先駆けて、池田暁監督に本作について詳しくお話を伺った。作品からテーマを広げ、映画監督としての根源的な部分も触れながら、少しだけ池田暁監督を可視化できたのではないだろうか。発酵力の足しにぜひ一読頂ければと思う。

きまじめ楽隊とぼんやり戦争の池田監督
『きまじめ楽隊とぼんやり戦争』の池田暁監督

—独特な監督の作風に対して、多くの方が小津安二郎監督やロイ・アンダーソン監督などを例にあげて作品について語られてますね。池田監督は巨匠の名を挙げられることに意識するところはあるのでしょうか?

そうですね、小津さんやロイ・アンダーソン以外にも、デビット・リンチやアキ・カウリスマキなんかも言われますね。僕としてはあんまりそこは意識してないんですよね。でも、他の映画との類似点を探すのも映画の一つの楽しみ方だと思うので、僕としては皆さんが楽しければ良いなと思ってます。

—監督として映画作りで意識されている部分はどんなところですか?

演技の部分であれば基本的に俳優さんたちには感情表現は抑えるようにお願いしています。感情表現を抑えることで余白みたいなものが見えてくると思っているんです。映画を見て何か自分で考える、想像する。観客に想像してもらう部分を残すことを、僕は大切にしたいなと思っています。

—そのような監督の意図は映画から伝わってくるものがあったので、もしかしてインタビューでご自身の映画について語ることが嫌なんじゃないかと思ってます。本音はどうです?

意外とペラペラ喋っちゃうんです(笑)。なので、喋りすぎないように、特に映画の核心に触れることは喋らないように気をつけてます。でも意外と喋っちゃうんですよね…

—よかったです。では色々伺わせてください。まず気になった部分がカメラの撮り方でした。斜めから撮影している構図が一切なかったように思えたのですが、これはなぜでしょう?

カメラの撮り方って、基本的に何を基準に決めるかというと、この映画で何を見せるかだと思うんです。演技があり、動きがある、その中で僕は生っぽく見せたくないんです。人間の生々しさみたいのはあんまり見せたくなかったので、カメラマンさんとも入念に打ち合わせをして、斜めや生っぽくは撮らないようにします。

きまじめ楽隊とぼんやり戦争
片桐はいり演じる定食屋の店主城子

—物語の設定についてお聞かせください。きたろうさんが演じられた楽隊の指揮者が第27代とありました。徳川幕府でさえ15代までですから、500〜600年続いている戦争ということにもなりますね。

片桐はいりさん演じる定食屋の城子が劇中で「私が生まれる前から戦争やってる」って言っているように、もう、自分たちも知らない、何が発端かもわからないっていう、もう延々とやってる戦争なんです。第27代というのもその表現の一つですね。

—川を隔てた未知の向こう岸との意義さえ曖昧な戦争に、「音楽」が唯一のつながりとして存在しました。この「音楽」に込められた想いを聞かせてください。

海外の映画祭とか行くと経験するのですが、言葉が通じない国でも僕の映画を通して、ある種のコミュニケーションができて、伝え合うことができるんです。音楽にもそういう力があると思っています。また、戦争や非常時の音楽、芸術、映画などの立ち位置、そういうものを描きたいと思っていました。排除されていく一方で、都合よく利用される、ある種の怖さみたいなもの。この作品でも、小さく追い詰められた楽隊の状況がそれを表しています。

—なるほど、撮影はコロナ前ですが、コロナ禍で不要不急と言われたエンターテイメントの立ち位置と重なる部分を感じます。それ以外にも、本作は世界を縮図的に、皮肉的に物語っている部分が多いですね。

そうですね。劇中の登場人物はそれぞれに何か問題を抱えていて、それは僕らの世界の社会につながる部分だったりします。橋本マナミさんが演じた春子が受けていた男女差別的な面、町長と息子なんて権力の世襲制を表しています。そういう僕らの今の世界に通じるものを、誇張しながらユーモアを加えて描いています。

—監督の作品は、映画をつくりはじめる段階で制限項目を設定されている感じがします。実際はいかがでしょう?

作品をつくる上でのルールを僕は大切にしています。まず演技に関しても僕の考える枠内での表現に抑えてもらう。言葉で説明するのは難しいですが、僕の考える枠から外れないようにお願いしています。感情表現以外でも、動き方も、僕なりのルールに沿って映画をつくりあげていきます。結局僕がそういう基準で進めていると、スタッフさんも俳優さんもそれを共有してルールを分かってくれる。そうなると、自発的に対応してくれ、逆に僕に提案をくれたりと、皆で作品をつくっている感覚になっていきます。

きまじめ楽隊とぼんやり戦争
前原滉演じる主人公露木が配属された楽隊の兵舎

—劇中できたろうさんが絡むシーンなどは小ネタ満載で笑ってしまいます。ユーモアを交えたシーンは監督自身で考えられるのですか?

基本的に(自分で考えた)脚本のままです。ただし、脚本を仕上げる前には、仲の良い俳優に声かけて1回読んでもらったりシミュレーションをすることはあります。一部「きたろうさんの饅頭を食べているシーン」や「川岸の戦争で時計を持っている兵隊」などはスタッフの発案で、私も面白いと思ったので映画に加えました。

—ラストに(前原滉演じる主人公)露木が川辺でトランペットを吹いているシーンがありました。あのシーンには人間的な表情がしっかりと見えるように思いましたが、特別なにかリクエストされたことはありましたか?

僕としては「ただ吹いてくれ」としか言ってないです。ただ、前原さんはあのシーンが一番ナーバスになっていて、それは演技面ではなくワンカットで撮らなくてはいけないというプレッシャーがありました。僕は夕景で撮りたかったので、時間的に失敗しては駄目だったんです。(人間的な表情に見えたのは)きっと素敵な想像力が働いたのかもしれませんね。

—なるほどですね、面白いです。監督にとって印象的なシーンはどこですか?

中々1つには絞りにくいんですが…楽隊の兵舎のシーンだけはセットなんですね。最終日だったんですけど、セットでやれることがうれしくて、とにかく楽しかったです。自分の中では1日で終わっちゃうのがもったいないぐらい。セットだからこそできた空間で、それが印象に残っています。

—そういう喜びにも秘められるのかもしれませんが、職業:映画監督としてのモチベーションというのは監督の場合どういった点にありますか?

僕は監督もやりつつ毎回脚本も書いているんですが、自分の頭の中で勝手に書いてるものが、スタッフの皆さんと共有した後に具現化されるんですよね。自分の頭の中が、形になるっていうのが何かある種の不思議でもあり、そこが僕は一番嬉しいというか楽しいところですね。

きまじめ楽隊とぼんやり戦争
川岸でトランペットの練習をしている露木

—監督は学生時代に木村威夫さん(美術監督)に薫陶を受けたと聞きました。美術監督との強い接点が、監督の作風に影響していることはありますか?

僕が映画をつくる上で、もちろん様々な要素で大切な部分がありますが、「背景」というものをとても大切に思っています。それはその映画の空間や世界をつくる上で一番重要な部分だと思ってます。そういう思考っていうのはやっぱり、木村威夫さんの影響はとっても強いんじゃないかなと思いますね。

—それでは、最後の質問になります。映画ファン、本作に興味がある方たちに一言メッセージをください。

105分の映画なんですけど、笑いあり、驚きありで、それで本当に105分を見て終われる映画だと思ってます。楽しんでもらえれば、僕はそれで十分だと思ってます。欲を言えば、なんとなく自分たちの社会とのつながりをちらっとでも感じてもらえたら、さらに嬉しいなと思います。

(インタビュー・文/オガサワラ ユウスケ )

映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』
3.26(金)より、テアトル新宿ほか全国順次ロードショー!

きまじめ楽隊とぼんやり戦争
映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争

【作品情報】
出演:前原滉/今野浩喜 中島広稀 清水尚弥
橋本マナミ 矢部太郎 片桐はいり 嶋田久作 きたろう/竹中直人 石橋蓮司
監督・脚本・編集・絵:池田暁
企画・製作:映像産業振興機構(VIPO)/制作協力:東映東京撮影所
配給:ビターズ・エンド
2020 年/日本/カラー/105 分/ビスタ 
©2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクトHP:bitters.co.jp/kimabon
3.26(金)より、テアトル新宿ほか全国順次ロードショー

3.26(金)より、テアトル新宿ほか全国順次ロードショー!