Oct 28, 2017

インタビュー

五木寛之、村上龍、山田詠美、吉本ばなな・・・一流作家が惚れ込む文芸編集者の「編集力」とは何か?

ベストセラー小説、古典文学、ビジネス書、学術書――。どの本にも、本を形にして世に送り出す“仕掛け人”が必ずいる。時には、著者を支えるパートナーであり、時には、デザインや宣伝、販売戦略を練るプロデューサー、そして本と読者をつなげる橋渡し役でもある「編集者」という仕事。その多岐に渡る仕事とは裏腹に、普段は“作品の裏方”としてあまり表舞台には現れない編集者の方々に、その舞台裏を伺うインタビュー連載『あの名作はいかにして生まれたか』。

 

伝説の編集者に聞く「あの名作」はいかにして生まれたか
Vol.1 幻冬舎・石原正康氏【後編】

 

第1回目は、これまで五木寛之、村上龍、山田詠美、吉本ばななら日本文学界を代表する作家の名作を数多く生み出してきた編集者の石原正康さん。名編集者・見城徹さんに付いて1993年に角川書店を退社、新しい出版社「幻冬舎」を設立した時の創立メンバーで、現在は幻冬舎の専務取締役もつとめる石原さんが、いかにして個性豊かな作家と共にベストセラーを生み出してきたのか。【前編】に引き続き、じっくりと話を伺っていきます。

 

大学編集者時代にくどいた
山田詠美の直木賞受賞

 

──ところで見城さんが幻冬舎を立ち上げる際に、一緒に角川書店を辞められて見城さんに付いて来られたわけですが、その当時、迷いや不安はありませんでしたか。

まったくありませんでした。僕が角川にいた時代はちょうど映画とのメディアミックスの全盛期でした。いま考えると最先端の試みを見事に成功させていました。だからこそ既存の出版社ではない独自の本作りをしたいと思っていました。より作家に寄り添う編集をしたいと、真剣に思っていました。幻冬舎設立の頃には、応援してくださる作家の強い思いも感じていたので、「あとは読者さえいれば、何とかなるだろう」と思っていました。1993年の11月に会社ができて、94年の3月に最初の本を6冊同時に出しました。五木寛之さんの『みみずくの散歩』、村上龍さんの『五分後の世界』、北方謙三さんの『再会』、山田詠美さんの『120&COOOL』と吉本ばななさんの『マリカの永い夜/バリ島日記』、そして篠山紀信さんの『少女革命』です。幻冬舎の立ち上げのために書いていただいた作品ばかりです。

──吉本ばななさんのほか、村上龍さんと山田詠美さんも、石原さんが長年担当されてきたベストセラー作家ですね。

山田詠美さんは、ちょうど僕が編集者を始めたのと同時期に、作家としてデビューされたんです。「SMの女王が文藝賞受賞!」などと書かれ、写真週刊誌にもセンセーショナルに取り上げられていたこともあって、「山田さんに原稿を依頼したい」と見城に言ったら、「何、お前、鞭で打たれたいの?」なんて言われましたけど(笑)。でも、山田さんが『ベッドタイムアイズ』で芥川賞の候補になると(第94回[1985年下半期])、「お前、しっかりやれよ」って、見城の反応も変わっていきました(笑)。

──先見の明があったんですね。山田さんの作品のどんなところに魅力を感じましたか。

とにかく文章が瑞々しくて息をしているようで、自分が今まで読んだことのないような小説でした。それで、「これは絶対に一緒に仕事をしたい!」と思ったんです。まだ大学生で学生の身分を隠して仕事をしていました。『ベッドタイムアイズ』のデビューが鮮烈でしたので、他社との競争も当然激しかった。デビュー作の感想を送って、最初は緊張する中で山田さんの文学観を伺ったり、自分の想いを伝えたりと何度かお会いして、やっと少しずつ信用していただいたのか、『月刊カドカワ』に短編を書いてもらえるようになりました。それから1年半で担当した『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』が第97回直木賞(1897年上半期)を受賞した。本当に嬉しかったですね。編集者になって、単に原稿を取りに行くだけじゃなく、生まれて初めて「作家と一緒にひとつの仕事を完成することができた」と感じられたのが、山田詠美さんでした。年齢も近くて、受賞の時は僕は24歳でしたし、山田さんとは姉弟みたいなもんです。けんかもするけど気持ちは一緒にいますね。

 

一度出会った作家とは
死ぬまでつきあいます

 

──作家とのけんか別れはありますか?

それはないですね。けんかしながら続いているっていう関係性はあります。けんかして、それで終わりにしてもいいことないし、僕はしつこいんですよ(笑)。ガチャンって、電話を切られても、出るまで電話し続けますし、一時のことで関係性を終わらせる理由はないですね。 やっぱり文芸編集者なら、一度出会った作家とは、出会ってから最後までつきあいますよね。そうじゃなきゃおかしい気がするんです。僕にとっては、白川道さんもそうでした。白川さんは刑務所から出てきて48歳の時に『流星たちの宴』という圧倒的なハードボイルド小説で華々しく新潮社からデビューするんです。僕はその頃に白川さんに出会って、『天国への階段』を書いてもらって、単行本が上下巻で50万部売れた。でも印税はほとんど競輪につぎこむ。だから、いつも前借りを申し込まれるのでこちらも追いこまれる。でも真底惚れたから、亡くなられた今でも大好きです。競輪で勝つと「ズボンのポケットに入るのは700万までだな」と仰っていたのは、忘れられない言葉です。怖いくらい色っぽい人でした。

──幻冬舎は設立後すぐに郷ひろみさんの『ダディ』(1998)や五木寛之さんの『大河の一滴』(1998)などミリオンセラーを叩き出していきます。そんな中で、天童荒太さんの『永遠の仔』(1999)がベストセラーになりました。これも書き下ろしの大長編ですが、それまでミステリー作家として知られていた天童さんにとって大きな転機となった作品ですよね。

天童さんとは付き合いが古くて、僕が角川書店にいた時に『白の家族』という作品で『野性時代』の新人賞を受賞して(1986/栗田教行名義)、その単行本を作ったことがきっかけでした。それから『孤独の歌声』という作品で日本推理サスペンス大賞の優秀賞を受賞(1993)されたあたりに、久しぶりに連絡があってお会いしたんですよ。ちょうど幻冬舎を立ち上げる前だったので、その話をしたら、「じゃあ、(幻冬舎のために)新作を書くよ。養護施設に入っている子どもの話で、長編になるけどそれを出さない?」って。心底、嬉しかったですね。まだ形にもなっていない会社に向かって長編を書く、って言われたんですから。ただ、天童さんは400枚とか500枚くらい書いても、平気でボツにしてしまう人なんです。それで結局完成まで6年かかりましたけど、この小説は最後に天童さんの叫びに近いメッセージがあって、それを読んだ瞬間、胸を熱くしながら「これは売れる」と確信しました。装幀家の多田和博さんの抜群のアイディアで、装画に彫刻家の舟越桂さんの作品を使ったのも効果的でした。

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