Feb 26, 2022 interview

映画業界を目指す人たちへ NCW主宰 武藤起一×フラッグ代表 久保浩章が語る 映画を作り伝えることの大切さ

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池ノ辺 そして、フラッグさんは、どういうお仕事をしていったんですか?

久保 その頃は、いわゆる企業PR映像の制作をやらせてもらったりとか、映画とは全然関係ない内容でした。プロモーションビデオみたいなものを作ったりとか。でも全然鳴かず飛ばず、みたいな感じだったんですよ。

池ノ辺 そこから映画の仕事をするようになるのは、どういうきっかけですか?

久保 会社を立ち上げて2年ぐらいしたときに、あるプロバイダーが運営している映画サイトのお仕事を、知り合いの人から声をかけていただいて。そこから映画に関わり始めたんです。

池ノ辺 まだ2000年代の前半ですよね。どういう内容だったんですか?

久保 ネットで映画に関する動画コンテンツを配信するというもので、例えば役者さんのインタビュー映像や記者会見の様子とか、イベントの映像とか、そういったものを当時は見ようと思っても、テレビのワイドショーだと本当にごく一部しか流れない。それがネットの動画だったら全編見せることが出来る。それにジョニー・デップ来日とか、トム・クルーズ記者会見みたいなコンテンツを、言ってみればパブリシティなので、ギャラを払わずに作れちゃう。

池ノ辺 今だとそういうサイトはいっぱいありますが、当時はまだ少なかったんじゃないですか?

久保 その時は動画配信って、GYAO!とBIGLOBEとあといくつかぐらいで。まだYouTubeも世の中にない時代です。その仕事で私も現場に行っていたんですが、運転手兼カメラマンをやることもあれば、音声をやることもあるみたいな感じで。毎日現場へ行っていると、配給さんの宣伝担当の方とか、宣伝会社の方と毎日顔を合わせるんですよね。そこで仲良くなるうちに、そういう仕事をやっているんだったら、「映画の公式サイト作れる?」とか、インターネットで動画を使って映画のプロモーションをしたいとか相談をいただいたり。

池ノ辺 そうやって、徐々に映画の仕事が増えてきたわけですね。最初は取材する媒体の側だったのが、だんだん宣伝する中の人の仕事に近くなっていったんですね。

久保 そうです。2008年にある配給会社さんから、「宣伝やってみない?」と言われたんです。特にネットでのパブリシティをやってみないかと。

池ノ辺 その頃ってネットを使った宣伝は、まだそんなに多くなかったんじゃないですか?

久保 やってらっしゃる会社さんもありましたが、まだ今ほどでもなかったです。そのときに声をかけていただいたのは洋画の配給会社さんだったんですが、アメリカ本社はもうネットを映画のプロモーションマーケティングで活用するのは一般的になっていると。日本はまだ紙と電波を中心とした宣伝でしたが、本社からすると、もっとデジタルに力を入れなさいよって話だったんですね。

池ノ辺 そうやって、ネットを使った映画の宣伝を始めて、フラッグさんの存在が大きくなっていったわけですね。