Jul 21, 2017 interview

第3回:20代の駆け出しのころは寝る時間もないくらいに仕事をやってた。

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小松

そういう意味で小滝さんはすごい。

彼と付き合うと、その分、予告編のスキルは上がります。

小滝さんとは、篠原哲雄監督の『深呼吸の必要』(2004) が最初で、今や、売れっ子の長澤まさみが初々しいんだけど、そのときも、入院はしなかったけど、最後、倒れちゃった。

で、そこから3ヶ月、休職させてもらったんだよね。

池ノ辺

そうそう、小松さん、アメリカに行って、ロサンゼルスで合流して、デカイハンバーグ食べて、「元気になった? 大丈夫?」と言った記憶がある。

小松

アメリカに姉が住んでいて、1回休養を取ろうと思って、渡米したんですよ。

当時はバカ・ザ・バッカのロサンゼルス支部があって、池ノ辺さんもいろんな用事があってよく行っていたから、向こうで会いましたね。

僕がいたのはシアトルだったけど。

池ノ辺

でも、誰だって、要所、要所でゆっくりしたい病というのはどうしても出るものだよね。

小松

20代の駆け出しのころは寝る時間もないくらいに仕事をやって、そのあと、ちょっと自由な時間があればいいなと思いながら仕事をしていたけど、結局、複数の予告編を常に抱えているから、仕事が重なり合って、自由な時間が結局出来ない。

映画の本編や、テレビの番組の制作だと、一本、仕事が終わったら、打ち上げをして、気持ちを切り替えたりするんだけど、予告編の仕事はそれができないというのが一番大変かもしれないですね。

それは、今、この仕事に関わっている人、みんなそうだと思います。

池ノ辺

みんなどんなふうに切り替えてやってるんだろうね。私は全然平気だけどね(笑)

小松

そういうことを意識しないでやってきたことが、現在のベースになってるのかなと思いますね。

(文:金原由佳 / 写真:岡本英理)


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映画『エブリシング』

18歳のマデリンは、生まれつき重い病気のため、人生を家の中だけで過ごしてきた。厳重に衛生管理された屋内で、医者の母ポーリーンと看護師カーラと毎日を送っていた彼女は、隣の家に越してきたオリーと知り合う。窓越しにメールするうち、彼の不思議な魅力に惹かれたマデリンは、カーラに頼みこみ、お互い近づかないことを条件に家の中で初めて会う。ある日、父親に殴られているオリーを助けるため、命の危険も顧みず家を飛び出したマデリン。しかし、母から二度と彼に関わらないように厳しく言われてしまう。オリーのことを忘れようとする彼女だったが…。ついに、マデリンは、自分のすべてを懸けた決断をする。彼女が決めた行動とは―。そして、その先に待つ運命とは―。

配給:ワーナー・ブラザース映画

映画 『エブリシング』8月5日公開

公式サイト https://warnerbros.co.jp

PROFILE

小松敏和(こまつ・としかず)

株式会社バカ・ザ・バッカ 創立メンバー

1952年生まれ。1976年、株式会社武市プロダクション入社。予告編デビュー作は「ジャンクマン」(82年)。1987年、株式会社バカ・ザ・バッカ設立に参加。「南極物語」(83年)で予告編コンクール予告編大賞。「死霊のはらわた」(85年)、「東京国際ファンタスティック映画祭」(85年〜05年)、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(89年)で予告編コンクール予告編大賞。「ムトゥ/踊るマハラジャ」(98年)、「アメリ」(01年)、「おくりびと」(08年)、「冷たい熱帯魚」(11年)など、40年間を通して、約1500本の予告編を制作。2017年6月、株式会社バカ・ザ・バッカを定年退職。

池ノ辺直子

映像ディレクター。株式会社バカ・ザ・バッカ代表取締役社長
これまでに手がけた予告篇は、『ボディーガード』『フォレスト・ガンプ』『バック・トゥ・ザ・フューチャー シリーズ』『マディソン郡の橋』『トップガン』『羊たちの沈黙』『博士と彼女のセオリー』『シェイプ・オブ・ウォーター』『ノマドランド』『ザ・メニュー』『哀れなるものたち』ほか1100本以上。
著書に「映画は予告篇が面白い」(光文社刊)がある。 WOWOWプラス審議委員、 予告編上映カフェ「 Café WASUGAZEN」も運営もしている。
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