Feb 13, 2017 interview

人間のダークサイドを描くことほど楽しいものはない!? 作家・貫井徳郎と石川監督が生み出した愚行エンターテインメント!

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妻夫木 聡たちキャストが魅了された『愚行録』の世界

 

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──人間のダークサイドを細やかに描いた『愚行録』ですが、映画化する作業はしんどかったんじゃないでしょうか。

石川 いや、それがすごく楽しかったんです(笑)。『愚行録』は撮っていて、どのシーンも楽しかったですね。

貫井 そうでしょ! そういうものですよね。僕も『愚行録』を執筆しているときは、すごく楽しかった。僕は“いい話”を書いているときのほうが辛い。“いやな話”は息をするように書けてしまうんです(笑)。

石川 役者さんとそれぞれのキャラクターについて打ち合わせしているときも、すごく盛り上がりました。表層的な薄い話だと、打ち合わせはすぐ済んでしまうんですが、「このシーンのこの台詞はこんな意味も含んでいますよね?」とか、本当にひとつひとつのシーンや台詞について、確かめるように役者のみなさんと打ち合わせしたんです。妻夫木さんも率先して役づくりされていましたし、妹役の満島ひかりさんも闇から手が伸びてきて体を這うシーンでは代役を用意していたんですが「私がやります」と言ってくれて、うれしかったですね。みんな、すごくやる気を見せてくれた。

 

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貫井 役者さん的にも、ストレートで分かりやすい役よりも、『愚行録』みたいな裏表があることを匂わせるような芝居のほうが、演じ甲斐があるんですか?

石川 絶対にそうだと思います。

貫井 そうですか。そういう話を聞くと、原作者としても非常に書きがいがありますね(笑)。

 

日本ならではの見えないヒエラルヒー

 

──原作では慶應大学内には見えないヒエラルヒーがあることがディテールたっぷりに描かれており、惹き付けられました。貫井さんの筆も乗っているように感じられましたが…。

貫井 特にそうだったわけではありません。あのエピソードは慶應大学にいた友人から聞いたエピソードをそのまま書いたようなものなんです。大学から入学した外部生は幼稚舎から上がった内部生から父親の職業を尋ねられるとか、先祖が明治の元勲だったことを自慢されたとか、すべて友達から聞いた話なんです。あと、気に入った女の子だけ車に乗せて、自由が丘までご飯を食べにいくとか。でも世代によって、ずいぶん違うみたいです。「そうだった」という人もいれば、「そんなの全然なかった」という人もいる。バブル時代はまさに『愚行録』を思わせる感じだったようですね。慶應に限らず、他の大学でもあったみたいです。慶應の女の子はバッグを男子に持ってもらえることに触れましたけど、青学もそうだったらしい。まぁ、中には「慶應だったけど、バッグを持ってもらったことは一度もない」という女性もいたそうですが(笑)。

石川 『愚行録』を読んで、僕は日本社会の縮図のようだなと感じました。僕自身は学生時代に校内カーストに身を置いた経験はありませんが、必死になってカースト制を登っても、登りきった先に待っているのは何もない空っぽな世界じゃないかと思うんです。1920年代の米国の世相を描いたスコット・フィッツジェラルド著の『グレート・ギャツビー』を読んだときのような印象を『愚行録』には覚えました。

貫井 登っても、そこには何もない。確かに、結果はそうなんですよね。でも僕が大学生だったバブル時代は、登っていけば上には何かがあると誰もが信じていたように思います。僕は小説家になる前、一応サラリーマンも経験していて、割と給料のいい企業だったんです。バブル時代だったので、簡単に就職できてしまった。それで同期のヤツが「30歳になったら収入はこのくらい」とか言い出して、「俺たち、ヤンエグだね!」と言ったことを今でも鮮明に覚えています。ヤンエグって、もう死語(笑)。『愚行録』って、そんな時代の話なんです。ヤンエグって分かります?

石川 いえ、初めて聞きました(笑)。

貫井 ヤング・エグゼクティヴの略なんです。若くして高給取りになった人のことを、ヤンエグとバブル時代は呼んだんです。石川さんの世代でも、もう知らないんですね(苦笑)。僕自身は人を見下したりするのも嫌だし、見下されるのも嫌です。そんな社会が嫌で、ひとりでやれる作家になったのかもしれません。「人を見下すことってこんなに愚かなことなんだよ」という想いから、『愚行録』を書いた部分はあるように思いますね。

 

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──石川監督は東北大学を卒業後、ポーランドの国立映画大学に留学していたとのこと。欧州はそれこそ階級社会なのでは?

石川 欧州は格差社会ならぬ歴然とした階級社会で、もっとあからさまですね。貴族階級の同級生がいましたが、名字からしていかにも貴族ですって感じでしたし、「今まで一度もスーパーマーケットに入ったことがない」と話していました(笑)。

貫井 実際にそういう人がいるんですね。

石川 ポーランドの映画大学は欧州ではけっこうな名門校だったこともあって、世界中からいろんな人たちが集まっていたんです。ヨーロッパの貴族階級もいれば、逆に食べ物にも困っている貧しい国からの留学生もいる。貧しい国には日本や欧州とはまた違ったヒエラルヒーがあるように思います。その点、『愚行録』で描かれたヒエラルヒーはすごく日本的だなと感じました。見えざる格差ですよね。僕は格差という言葉が好きになれない。格差というと「ただ差があるだけなので、頑張れば上に行けますよ」と言われている気がするけど、それは上にいる人が下にいる人に対して言っているように感じられるんです。それって格差じゃなくて、階級じゃないのかなと思うんです。

貫井 ベネチア国際映画祭に出品された際、みんなちょっと心配だったのが、非常に日本的な世界を描いているから海外の人たちに理解できるだろうかという点。でも実際に上映されると、すごく評判がよかった。僕なりに考えたんですが、石川監督が先ほど言われたように階級社会の欧州から見ると、日本は単一民族に見える国。江戸時代にあった身分制度も今はなく、みんな平等に見える。でも、目に見えない形で階級が残っていることが、海外の人たちには興味深かったんじゃないかなと。僕にとってもベネチア国際映画祭での好意的な反応は意外でしたし、面白く感じられましたね。

 

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