――母と娘の関係って、同性だからか特に影響を受ける部分がありますよね。母親【可那子】役を演じられた河瀨さんの演技から影響を受けた部分はありますか。
河瀨さんは凄くピアノを大事に触るんですけど、その姿が“美しいな”と思っていました。言い合いになって、【未知】が【可那子】に思いをぶつける時、【未知】はピアノを雑に叩くんです。【可那子】がピアノを丁寧に扱う姿をずっと見ていたからこそ大切なものを傷つけることで、何か自分の中に溜まっていたものをぶつけていたんだと思います。
――面白いですね。福地さんは18歳から現場を体験していて、今も俳優として活動を続けられています。どのタイミングで“これからも役者をやっていこう”と思われたのですか。
もともと【未知】のように自分の想いを言葉にすることへの恐怖みたいなものが、自分にもありました。それは今でも無くなってはいないと思います。でも誰かの身体を通して言葉を発した時に、“想いを発散できるのではないか?”ということを漠然とイメージしていたんです。それでお芝居というものを学んでみたいと思ったのが18歳ぐらいでした。
今のところこんなに長く続いているもの、自分から離れていかなかったものがお芝居です。“学びたい、知りたい”と今も興味を追求し続けています。


――様々な映画や舞台で演技をする中で、忘れられない演技の瞬間ってありますか。
そこにいる人の前でしか出せない自分や、場所や物の力を頼りにしてお芝居している気がします。稽古を積み重ね、何度も繰り返していることでも、撮影している時に起きた偶然みたいなものに毎回とても感動します。その感覚を大切に、変わらないテーマとして、これからも持ち続けていきたいです。
――それは決められた演技などでもなく、リアルな場所などでの撮影ですか。
撮影は、脚本をいただいてから本番に向けて準備を重ね、その延長にある感情ややりとりを追求していく作業だと感じています。一方で、脚本がない場面では、自分の中に生まれた衝動や感情に従って動いてみることで、思いがけない表現が生まれることもあるなと思います。私の体験でいうと桜の木が綺麗で、川があって“つい走り出した”だったりするんです。なぜそう動いたのかは、そのときには分からなくても、後から振り返ることで見えてくるものがあって、自分自身にとっても新たな気づきに繋がります。大切にしたいのは、その瞬間にあるエネルギーを逃さないこと。すぐには意味が分からなくても、何かを感じたり、心を動かされたりした経験の積み重ねが、今の自分を形作っているような気がします。
