Mar 16, 2017

コラム

テレビ収録のステージで起こった異例の事件、その原因となった大スターとは?

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 誰かのコンサートを見に行き、感動のエンディングを迎える。お客さんは十分に満足した。盛大な拍手がおこる。それに送られて出演者たちはステージから退場する。
 …だが、そこで席を立つ人は、おそらく一人もいない(用事があって早く帰る人は除く)。拍手はやがて、当然のごとく、みんなで同じリズムを刻むようになる。それに促され、暗くなっていた無人のステージが再び明るくなり、バラバラと出演者たちが再登場し、アンコールとなる。

 これが、日本における「アンコールの儀式」だ。もちろん、アンコールは儀式として行うものではない。あまりの素晴らしい演奏にお客さんは立ち去りがたく、拍手が鳴りやまない。アーチストはそれが嬉しく、意気に感じ、「じゃあ、特別にもう一曲だけ」とサービスする……と、自然発生的に生まれるのが本来の構図だ。
 だが現実には、
① アーチストは最初からアンコール曲を用意している(しかも数曲)。
② お客さんもそれを知っている。
③ お客さんが知っているということを、アーチストも知っている。
④ しかし、お互いに「それは知らないことになっている」ということを、お互いに知っている。
 …という、非常にややこしい、メタ・フィクションみたいな構図になっているのだ。

 現実のアンコールはほとんど、「知っていながら知らないそぶり」という両者の関係性で行われる。もちろんそれでも十分に盛り上がる。アンコールの魔力だ。
 ならば、本来の姿として、自然発生的に起こったアンコールの場合はどうなのか?
 以前、それを目の当たりにしたことがある。

 ぼくは学生の時、NHKホールでアルバイトをしていた。といって、ADやなんかの番組制作系ではない。当時、NHKでは公開番組の観覧というのがあった。たしか、NHKホールで行うレギュラーとしては、「ビッグショー」「レッツゴーヤング」「歌はともだち」の三つだったと思う。常時、往復ハガキで観覧を募集していた。何しろ毎週三番組あるのだから、膨大にハガキが来る。そのハガキ整理のバイトをやっていたのだ。
 ふだんは事務仕事だ。が、公開当日はNHKホールに行って、数人でお客さんの場内誘導も行っていた。

 お客さんが無事入場してしまえば、ぼくたちはやることがない。本番収録中は、ロビーで雑談をして過ごす。たいていはそこに、当日の収録台本が置いてある。ぼくは興味深々それをめくり、
「へえ、歌番組の台本ってのは、こうなってるのか…」
 なんて感心しながら眺めていた。
「な~んだ、台本なんて、たいしたこと書いてないんだなあ」
 と思いつつ。
 のちに自分がそういうものを書く仕事につくとは、この時はまだ知らない。今となっては、当時の放送作家たちに謝りたい。
「たいしたこと書いてないなんて思って、申し訳ありませんでしたっ!」

 このアルバイトには余禄があって、客席の一番後ろやサイドにそっと立ってステージを眺めることが、許されていた(名目は場内警備だ。実際に、何かあればそれを行うことになっていた)。なので、気になるアーチストが出演する時は、ぼくもステージを眺めた。
 その日は、加山雄三さんのビッグショーだった。ぼくはサイドで見ていた。「事件」はその時におこった。

 

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藤井青銅

藤井青銅(ふじいせいどう)
23歳の時「第一回・星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家となる。

書いたラジオドラマは数百本。腹話術師・いっこく堂の脚本・演出・プロデュースを行い、衝撃的デビューを飾る。最近は、落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語を提供中。 著書「ラジオな日々」「ラジオにもほどがある」「誰もいそがない町」「笑う20世紀」「あなたに似た街」「【悲報】本能寺で何かあったらしい……光秀ブログ炎上中! 歴史Web2.0」…など多数。

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