コロナによって公開が延期されていた新作アニメ映画『魔女見習いをさがして』がついに公開となった。僕自身、発表当時から待ちわび続けた作品だった。
『おジャ魔女どれみ』(以下『どれみ』)は99年から2003年までの4年間にわたって日曜朝のキッズ枠で放送されていた魔法少女アニメ。当時の東映アニメーションにとってはおよそ15年ぶりとなる満を持してのオリジナルのTVアニメシリーズだった。この『魔女見習いをさがして』はそのメインスタッフが再び集結して制作された「『おジャ魔女どれみ』20周年記念作品」と銘打っている。
放送当時、僕は幼児向けの人形劇番組を手がけていたのだが、『おジャ魔女どれみ』にひたすら感心し心奪われた。作品の作り手が子供の視線にまでおりてきて真っ正面から彼らを見ている姿勢と、「子供向けの魔法物アニメであっても、彼らに対して私たちはウソをつかずに語る」という姿勢に敬意すら感じていた。会議の席で何度も「僕たちが目指したい目標」としてこの作品を挙げたことを覚えている。
実際、その真摯さは大人の心にも響き、番組のメインターゲットである女児だけでなく男性や大人にもファンが多かった作品だ。
魔女見習いとして魔法を使う主人公・どれみをはじめとした登場人物らの楽しい日常や友情や大きい可能性の数々や夢を描き、昨今のようなバトル物ではない“魔法もの”の楽しさを描いた。一方で魔法で何でもかんでも都合よく解決をさせず、簡単に答を与えず、子供同士でしか解決できない問題も描き、時には子供にはどうにもならないことはそれとして描いた。女子視聴者をメインターゲットとした中で「女の子の発育での悩み」も取り上げたし、子供社会の中にある問題にも踏み込んだ。
小学3年生から始まり、6年生の卒業式で番組は終わった。その間、番組は彼女たちの小さな成長を丁寧に描き続けた。
『どれみ』のベストエピソードとして有名なのは6年生編(『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』)第40話『どれみと魔女をやめた魔女』だ。後に『サマーウォーズ』や『おおかみこどもの雨と雪』などを生み出す細田守による演出回になる。
魔女であったが今は人間社会の中でガラス作家として生きる1人の女性・未来との出会いが、どれみに“これからの自分”という人生最初の選択に小さな影響を与えることになる。未来の声を演じたのは原田知世で、30分の中で切なくも美しく静かに語られ描かれるドラマはシリーズの中でも今なお高い人気を誇る。この回が契機となってその後に細田守が『時をかける少女』を手がけることとなったとも言われており、『どれみ』内外において伝説的な1エピソードだ。
僕もこのエピソードは大好きであるしベストに入るが、とはいえ同エピソード人気は「細田作品であること」も大きな理由で「『どれみ』だから」というだけではない。では僕が「『どれみ』だから好き」だと思ったエピソードはなんだったろう?と振り返ると、この細田回も含めて、ほとんどに共通しているのが「魔法で問題を解決をしなかった話」であることに気がついた。
忘れられないのは5年生編(『も~っと! おジャ魔女どれみ』)第20話『はじめて会うクラスメイト』からはじまる不登校のクラスメイト・長門かよこをめぐるエピソードだ。1回で解決させず数回にわたって描かれた同エピソードは学校に行きたいが行けないことに苦しむかよこの問題の本質的な解決に対し番組のキーである魔法を使わなかった。あくまでもどれみやかよこや子供たち自身に悩ませ考えさせ向き合わせて解決へと向かわせた。
また、シリーズをまたぎ数回にわたって描かれたあいこの両親の復縁にまつわるエピソードにも打ちのめされた。離婚した両親の復縁と祖父の介護問題という子供にはどうにもならない、魔法でも解決が出来ない事をもきちんと描き、だからこそそれに心を痛めるあいこにどれみたちは寄り添い続けた。あのとき両親の気持ちを魔法で変えるという禁忌をおかそうとしたあいこを止めに来て、泣きながら彼女を抱きしめたどれみを僕は今でも忘れられない。