Mar 29, 2019 column

目が離せない、短編アニメが生み出す新時代

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18年夏に劇場公開され、先日ソフトリリースとなったスタジオポノックの『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』も、「見て楽しい」ことは前提となっているが、それ以外の可能性も含めていることは伺えるプロジェクトだった。3本の短編それぞれを「擬人化されたカニの子供を主人公に、ジブリを継承するポノック的なファンタジー冒険物」「たまごアレルギーの母子の奮闘をリアリスティックな描き方で挑んだ作品」「誰からも認識されない透明人間の苦闘と小さな活躍をアニメならでは可能な描き方で挑んだ作品」と、題材や表現の手管をいくつも投げかけ、ポノックは何が可能なスタジオであるのかのプロモーション的な意味合いも見せている。

昨夏では日中合作の『詩季織々』も短編アニメの可能性を見せた。北京、広州、上海の3都市を舞台に、大きく変化している中国社会の中での若者たちの日常ドラマを描いた3編のオムニバス作品だが、『君の名は。』『秒速5センチメートル』を手がけた新海誠監督のコミックス・ウェーブ・フィルムと中国のアニメ制作大手ハオライナーズが組んで実現しており、今のアジア圏アニメのノリにノっているトップ2が組んだこの作品は、大きな影響を見せ始めた中国とのアニメ制作という事業そのものの可能性の1つを実現してみせた。

もしこれらが、長編やTVシリーズとしていきなりやるような企画であったなら、全て実現していただろうか?まして原作ナシのオリジナル作品であればなおさらで、オリジナル作品をやりたくともなかなか実現が難しい理由はそこにある。

とはいえ、短編作品だからといって制作費が安く済むわけではない。単純に「30分作品だからTV作品1話分」というわけではなく、単品1本では人件費から何から割高となる。このへんは通常のTV番組でも毎回1時間のレギュラー番組と1回のみの1時間特番では後者の方が高くつくのと同じだ。ある意味、短編アニメはものすごく贅沢な作品だとも言える。

変化の中で新たな役割や可能性を見せつつある短編アニメであるが、とはいえそのための場はまだ限られる。『ポノック短編劇場』のような自社での括りとしてまとめられる会社は少ないし、『日本アニメ(ーター)見本市』のようなプロジェクトも民間では資金的にもやれるところはかなり体力がある会社に限られる。

『あにめたまご』は文化庁の事業ゆえに主眼はあくまで文化継承に向いているが、「海外に日本コンテンツを紹介しましょう・売りましょう」というのであれば、別省庁による本格的な「プロモーションとしての短編アニメプロジェクト」(アニメに限定しなくてもいいかもしれないが)のような事業があってもいいのかもしれない。

昨夏の劇場アニメ『ペンギン・ハイウェイ』の石田祐康監督も、かつて自主制作短編『フミコの告白』によって短編アニメファン以外にも知られることとなった。新たな才能の場として注目されてきている短編アニメ。アニメファンとして楽しみながら見ていきたいが、アニメの未来を生み出す場としても、それが定着することに期待と応援をしていきたい。

文 / 岡野勇(オタク放送作家)