Sep 24, 2017 column

文化をいかに繋げていくか メディア芸術祭とメディア文化を取り巻くアーカイブ問題

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そして、「それらの作品がその時代に、どうして、なぜ、どのようなことが評価をされたのか」という評価の記録をどう残していくのか?も課題である。先に記した僕が『メディア芸術祭』の意義だと感じるものはこれに当たる。後年の評価ではなく“その時”の評価というのはナマモノだ。それは時代を反映した多くの背景や情報が内包される重要な資料そのものである。しかしそれがあまり残らない。 雑誌や新聞の記事があるのでは?と思われるかもしれないが、それはそれらのメディアに取り上げられる機会があった恵まれた作品のみであり、そのメディアそのものがアーカイブされていなければ途絶えてしまう。今ならネットはどうなのか?といえば、こちらはもっと絶望的だろう。パソコン通信を経験していた人であれば、その頃のアニメ感想の掲示板の記録を今見ることがどれだけ困難かを考えればピンとくる方もいるのではないかと思う。幾多のブログなどにしても、運営者が公開やサービスを止めてしまえばそれまでだ。

ゆえに、こういった評価の断片が公的に後々も残るというのはとても大きなことなのだ。映画をはじめどのような作品もそれは現在という時代を映す。評価というのはそれがどのようにその時代を映していたのかを今の人たちに伝えるだけでなく、未来にも伝えていくものとなる。

厄介であるのは、アーカイブはどうしても一部の製作者やコアな人たちだけの課題であり、一般的な大多数の受け手にとっては無関係の問題とされてしまうことが多いことだ。 だが、過去を残すことをしなかった文化はいとも簡単に途絶えてしまう。それは他ジャンルの幾多の文化が経てきた絶滅の歴史が証明している。残すことは受け手にとっても、この先に娯楽を受け続けていく道になる。 文化の秋だが、いま、その文化を取り巻く状況には課題が多い。それを考えるきっかけとしても『メディア芸術祭』は作用するイベントではないかと思う。

別に堅苦しいイベントではなく、実際に体験が出来るコンテンツの展示やライブステージなど、普段なかなか目に出来ない海外短編アニメーションの上映企画などもあり、サブカルチャーに興味がある人には楽しめるイベントだ。シンポジウムやトークイベント、ワークショップ等も開催され、まさに芸術祭である。

なお、今回の開催では長年の会場となっていた乃木坂の国立新美術館から、東京オペラシティ、NTTインターコミュニケーション・センターをメインとした新宿・初台エリアの会場構成へと変更されたので、詳しいスケジュール・会場については公式サイトの情報を参照していただきたい。

<文化庁メディア芸術祭公式サイト> http://j-mediaarts.jp/#

文 / 岡野勇(オタク放送作家)