Aug 04, 2026 column

少年と自然のダイアローグを導く 映画『白パンと独裁者』の絵画のような疎開島 (vol.92)

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トルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督は、作品『愛より強く』(2004)、『女は二度決断する』(2017) など、ヨーロッパの移民社会を背景にした秀作を作り続け、世界中の映画祭を席巻し続けている。長編劇映画として12作目となる新作は、監督にとって珍しい時代物だ。友人であり共同脚本家としても共に仕事をした俳優ハーク・ボームの遺志を引き継いだこの映画の舞台は、北ドイツの砂丘などに囲まれた美しいアムルム島。ナチスの青少年組織ヒトラー・ユーゲント傘下のドイツ少年団(ユングフォルク)の一員として洗脳された少年が、食糧難の中で終戦を迎える島の春を描く本作は、監督が感化されているというイタリアのネオリアリズムのロベルト・ロッセリーニやヴィットリア・デ・シーカ作品を思わせる秀作で、どこかクラシックでありながら、生きるための勇気を教えてくれる。

美しい疎開島アムルムに刻まれた心象風景

1945年、ドイツ北部のアムルム島に疎開していた12歳のナニング少年は、自らの家族が、島社会から孤立していることを熟知していた。彼の両親はナチス崇拝者。戦争が終わるかもしれないと聞いたと話すだけで、ヒトラー信奉者の母から叱られ、「お前は弱い。“負ける”という言葉を発していること自体が、ヒトラー・ユーゲントにあるまじき行為だ」と説教される。戦地から戻ってこない父が不在の家庭で、母の言葉は絶対だ。しかし、母以外の大人、母の妹でさえ、戦争が終わりに近いことを知っていながらも、口にすることさえ許されない家庭環境に、ナニング少年は置かれていた。

本作は、監督とも親しい関係にあったドイツ人俳優ハーク・ボームの自伝的物語。「両親はナチスだったけれども、僕は彼らを心から愛していた。」というボームの自伝的映画を監督ファティ・アキンは当初、プロデュースする予定だった。しかし、病床に伏し、監督できなくなったボームに代わって、本作の監督を引き継ぐことになったという。アキン監督は、ボームが以前から言及していたドイツ・ロマン主義を代表する画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774〜1840)を手がかりに、ハンブルク美術館で開催された同画家の展覧会を鑑賞。その絵画からアムルム島の風景を描くビジョンを構築した。カスパーの画は自然を観察するような神秘的な風景の中で、人間がぽつんと立ちすくみ、壮大な自然と対話しているのかのように見える。人間の孤独がシルエットとして描かれている絵画のように、この映画の中で描かれる島の自然と、孤独な少年の姿もまた、これまで見たことのない静かな脅威で我々に迫ってくる。

島の人間ではない「よそ者」だと、いじめに遭うナニング少年だが、母は断固としてそれに反論。島の血筋がある祖先の写真を見せ、この島で堂々と生き、戦争に勝つまでは、と踏ん張る母は、島の人たちとは一線を引いてプライドが高い。一方で、本土からさらに疎開してきた、瀕死の状態にある痩せ細った子供たちは、ナニング少年たちの乏しい食べ物でさえ、羨望の目で凝視する。唯一の友は、芋農場主の女性テサの息子ハーマン。テサはナニングの母と相反する反ナチス派だ。

監督と『女は二度決断する』(2017) の法廷劇でタッグを組み、最愛の夫と息子を失った絶望と悲しみに打ちひしがれる非力な女性役でカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞した女優ダイアン・クルーガーもまた、この低予算映画で何か監督に協力できればと自ら出演を希望した。彼女が選んだ役が、出番も少ない芋農場主の女性テサ役。戦禍で食料がほとんどない中で、子供たちを育てる豪胆な農場主の役は、ダイアン・クルーガーのルーツをたどるのだそうで、その厳しそうな存在感は抜群。さらに、ヒトラーの訃報を受け、心身ともに打ちのめされたうえに、妊娠中なのに、食べ物まで拒んでうつ状態に陥りながらも、凄みのある母を演じるのが、『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』の実力派のドイツ人若手女優ローラ・トンケ。

子供を気遣うどころか、うわごとのように、唯一食べたいのは、バターとはちみつがたっぷり塗られた白パンだとこぼす母のために奔走するのが、今作が映画デビューとなるドイツ人若手俳優ジャスパー・オレ・ビラーベック。懸命に、島中を駆け巡り、労働の過酷さ、残酷な行為で動物を犠牲にしてまでも生きなくてはならない少年の姿はリアルで、胸が締め付けられる。「男の子は強くなくてはならない。泣いてはいけない。」という母の理想、社会的に押し付けられた男らしさに戸惑いながらも、ポーカーフェイスで自らの行動を選択していく少年を演じきっていて、頼もしい。

そのほか、男優陣では、映画『オッペンハイマー』(2023) にも出演しているドイツ人俳優マティアス・シュバイクホファーも、ナニング少年の謎の叔父という設定でカメオ出演。結婚を望んだユダヤ人女性ルートが強制収容所で命を落とし、自身はアメリカへ渡った叔父テオの存在は、ナニング少年の家族の亀裂と、戦争がどれほど非情なものかを示唆する重要なシーンとなっている。