Apr 17, 2017 column

サンダース版『ゴースト・イン・ザ・シェル』が描く『攻殻機動隊』の原点回帰と実写による身体性

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ルパート・サンダース監督による映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』が公開された。今さら書くまでもなく、89年に連載が開始された士郎正宗によるサイバーパンクSFコミック『攻殻機動隊』を原作とした実写映画だ。 過去に幾度とアニメ化もされた人気作品なので、アニメファンでは無くともタイトルは知っていたり、いずれかの作品は見たことがあるかもしれない。

少し『攻殻機動隊』が生まれた時代について書いておこう。 80年代前半、カナダ在住のSF作家ウィリアム・ギブスンの短編『クローム襲撃』(82)、続いての長編『ニューロマンサー』(84)の発表。そして82年に公開された映画『ブレードランナー』を契機にSF界からサイバーパンクムーブメントという動きが起こった。北野武が95年に出演したハリウッド映画『JM』も、このギブスンの短編『記憶屋ジョニィ』を原案とする作品だ。

“サイバーパンク”は作品ジャンルのみならずカウンターカルチャー思想的なニュアンスも含むため、明確な定義を説明することが難しいが、「退廃的な近未来を舞台に」「進化したテクノロジーに取り込まれている社会と人間を軸に」「社会や体制への反発性を描く(表現する)」作品や思想そのもの…とでもなるだろうか。

この衝撃は日本のクリエイターにも伝播し、82年から連載が開始され、88年にアニメ映画化された大友克洋の『AKIRA』にもその影響は窺える。そして登場したのが士郎正宗の『攻殻機動隊』だ。(89年連載開始。91年10月に単行本1巻発売) ちなみに、副題である「GHOST IN THE SHELL」は、アーサー・ケストラーによる思想書『機械の中の幽霊(The Ghost in the Machine)』から来ており、個と全体の関係性と進化といった作品に流れる軸もケストラーの提唱した哲学から来ている。

『攻殻機動隊』で主人公たちが身を置く公安9課は警察でありながら、独立した行動を旨とするアウトロー的なポジションにある。対象はテロリストを主としながら、時に政治家であり、大企業だ。 SFアクションの中、進化したサイボーグ技術やネットとサイバーテロといった物がちりばめられた世界観は、日本におけるサイバーパンクのイメージを強く印象づけた。 95年に公開された押井守によるアニメ映画版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は、当時まだ珍しかった「電脳化」「光学迷彩」といった設定の映像化や、技術がもたらす現実的な電子情報戦の描写が後の映像作品に大きな影響を与えるほどとなった。とりわけ海外での評価が高く、日本アニメを代表する1本となっている。ジェームズ・キャメロンやウォシャウスキー兄弟などファンを公言しているクリエイターも多い。

その後の数度にわたるアニメ化も軒並み面白い作品が続いている。それゆえこの実写版は劇場に行く前に不安があった。予告編では押井守によるアニメ映画版と被るビジュアルやカットが多く見られたため、「コレって押井版の実写化ってこと?」という印象も強かった。実際の本編でも随所に押井版へのオマージュがちりばめられている。他にも、キーキャラクターに神山版『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』のクゼ・ヒデオが登場するなど、他の『攻殻』映像化作品のネタも持ち込まれている。

だが、見終えた時に感じたのは、『ゴースト・イン・ザ・シェル』は間違いなくサンダース版『攻殻機動隊』と呼べる作品であったということだ。

部分部分に原作や押井版のストーリーにあるシークエンスは用いられているが、全体のストーリーラインはオリジナルと言っても良い。それでもこの作品が『攻殻機動隊』だと感じられるのは、原作への多大な敬意が感じられたことはもちろん、士郎正宗の『攻殻機動隊』で描いていることを突き詰めて思索し、その原点を探り、外さなかった視点にある。

日本の製作側の関わり方も大きいだろう。日本で生まれた作品の海外リメイクというケースは徐々に増えてきた。その中、映像化権を売るだけではなく、いかにオリジナルのイメージを守るか?も課題になっている。「日本のコンテンツを海外に販売する」のではなく「日本の原作を海外に輸出する」にはどうすればいいのか。『ゴースト・イン・ザ・シェル』では日本側からプロデューサーが参加することでそのコントロールを行っている。この映画は1つのアンサーでもある。