Apr 17, 2017 column

サンダース版『ゴースト・イン・ザ・シェル』が描く『攻殻機動隊』の原点回帰と実写による身体性

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原作コミックおよび押井版では、サイボーグ化による肉体の喪失で曖昧となっていく個の立脚と、より大きな意識・精神・生命へのアップデートが物語の軸となっていく。

だがサンダース版は、まずそのサイボーグ化による肉体の喪失がもたらす、個の意識のアップデートを大きな軸とした。 押井版でも「本当にこの機械の身体の中に自分がいるのか」という自身の認識に対する疑問は語られていた。原作にもあるセリフだ。だが原作においても幾多のアニメ化においても、主人公・草薙素子は物語が始まった時点ですでに全身サイボーグであり、肉体の消失というスタート地点については描かれていなかった。すでに失った者の物語として始まっている。(原作およびアニメ『SAC』『ARISE』では、理由はそれぞれの作品で異なるが彼女が全身義体化をした経緯が語られるエピソードはある)

サンダース版はこのスタート地点にあるはずの、喪失による身体性とテクノロジーの関係を描くことで、『攻殻機動隊』の世界観とテーマは何であるのか?に原点回帰した。

原作コミックに「部分サイボーグは“人間の能力を補う”、全身サイボーグは“人間以上をつくる”」という解説がある(原作1巻P103)。サンダース版が主軸としたのはこの部分だ。押井監督が原作中で素子が自問する一言を大きく膨らませたのと同様、サンダース監督はこれを膨らませた。原作も含めた全ての『攻殻機動隊』を構成する幾多の設定・要素・ガジェットの…それでいて、作中ではすでに当たり前の技術になっているがゆえに深くは言及をしてこなかった、まず最初の第一歩。

世界でただ1人の“人間以上”の存在への進化という点を掘り下げたことで、『攻殻機動隊』のテーマの根幹を追求した。 身体性をテーマの中心としたことは実写映画化であることのメリットにも繋がり、大きく効果を発揮している。スカーレット・ヨハンソンによるアクションが表現し伝えてくる物は、生身の人間の身体性そのものだ。アクション映画を見たときに観客が感じる「スゲエ!」はスクリーンから伝わる身体性があるからこそ生まれる驚きである。 バラバラになったサイボーグのボディの描写にしても、そこに生身の俳優の顔がはめ込まれているだけで、伝わってくる生々しさは大きく違う。

原点たる感情や、生身が生み出す身体性を描いたことにより、『ゴースト・イン・ザ・シェル』はこれまで映像化された中で、おそらくもっとも万人向けのわかりやすい『攻殻機動隊』となっている。 この“わかりやすさ”には、これまでのサイバーパンクSFが描いてきた未来像やテクノロジーが、現実と果てしなく近づいているという背景も大きいだろう。作品を取り巻いている時代と、観客の理解力の変化だ。考えてみれば、「電脳空間」という言葉や概念にしたって、95年の押井版公開当時にピンとくるのはコンピューターマニアとSFファンくらいだったが、今では一般語になっている。