Jan 27, 2023 column

第95回アカデミー賞 主要部門9ノミネート 『イニシェリン島の精霊』断絶の一撃によって切り拓かれた「陽気な悲劇」

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脚本と撮影の間にある知性

「映画の核となるのはセリフに対するリアクションの部分であることが多いのです。(中略)そこには俳優によって埋められる余地があります」―― マーティン・マクドナー(出典:AV Club [How Martin McDonagh made a platonic breakup more devastating than any romantic split in The Banshees Of Inisherin])

コリン・ファレルやブレンダン・グーソンへの当て書きで書かれた『イニシェリン島の精霊』で、マーティン・マクドナーは俳優という仕事への絶対的な信頼を示している。『セブン・サイコパス』(2012)で幾通りもの演技を撮影現場で披露するクリストファー・ウォーケンを撮った経験の大きさをマーティン・マクドナーは語っている。このときの経験が隅から隅まですべての配役が完璧な『スリー・ビルボード』へと昇華され、『イニシェリン島の精霊』で新たな地平を切り拓く成功につながっていく。

上記のマーティン・マクドナーの発言は、コルムに絶縁を告げられたシーンにおけるパードリックのリアクションのことを指している。パードリック=コリン・ファレルが見せる数十秒の空白の間、戸惑いの表情にマーティン・マクドナーはいたく感銘を受けたという。目の前で起きていることが分からないパードリック。どうしていいか分からないときに人が見せるリアクションには、脚本には書くことのできない俳優の知性、ドキュメンタリー性がある。

パードリックはコルムの拒絶を通して自分の限界を知り傷ついていく。しかしパードリックが真に限界を知るのは、妹のシボーンの不在によってだろう。読書家の彼女は本作における知性だ。パードリックとコルムが芸術の遺産について口論を繰り広げ、知識に欠けるパードリックが口負かされた後、シボーンはコルムの間違いを冷静に指摘して颯爽と去っていく。モーツァルトの話は17世紀ではなく18世紀の話だと。このときシボーンは、自分を賢い人間だと思っているコルムをぐうの音も出させないレベルで打ち負かしている。

このシーンで最も重要なのは、自分のことを賢いと思っている男たちに対するシボーンの優位性だ。シボーンこそが、この島の知性。この島が失ってはいけない進歩的な知性なのだ。そして彼女だけが男たちによる不毛な争いが起こる島から抜け出す意志を持っている。