──ビートルズの話が書きたくて、東京編の舞台が赤坂になったと、菓子浩プロデューサーから聞きました。
前々から、ビートルズがいた数日間だけの東京の話の企画を温めていたんです。彼らが好きと限らない人たちのことを、グランドホテル形式で描きたいと。例えば、ホテルで「君はビートルズ担当」って言われたなんの興味もないおじさんとか、警備員で雇われたが、ずっとコンサート中、演奏から背中を向けていた男の子とかをね。ビートルズの版権許諾が大変なのでなかなか実現しないでいたところ、高度成長期を舞台にして『ひよっこ』を描くことになったので、そこにこの企画を合体できないかと提案しました。オリンピックがはじまった2年後にビートルズは来日するので、ちょうどいいと考えたことは確かです。
──あのエピソードは熱がありました、峯田さんの熱演もあって。
わりと早い段階で、楽曲が使えないことがはっきりしたときには、一瞬、ふらっとしました(笑)が、逆に覚悟が決められたというか、使わないほうがいいんじゃないかと思い始めて。つまり、例えば、宗男がビートルズについて語るときに、曲をかけちゃったら、楽曲の強さにドラマは敵わなくなる。むしろ、かけないほうが面白いと思い始めました。歌詞もそのままは使えないんです。著作権が発生するんで。島谷くんが『イエスタデイ』の話をするとき、こんな感じの意味ですと意訳しているのもそのためです(笑)。当然、楽曲も使えなくて。でも、『ハード・デイズ・ナイト』の出だしの一音だけは、ヤスハルに弾いてもらいました。そこだけ唯一の抵抗です。ほとんどの方がある程度、曲を知っているから、脳内で流してくださったようで助かりました(笑)。映像も報道映像だけは使えるので、それを集めていただいて。しかも声は出さない。声にも権利がありますから。そういうとき、暴力的な創作エネルギーが出たし、さらに、峯田くんという頼りになる存在によって、結果的にかけないほうがよかったです。
──そこが新しい試みでしたね。
日本人の特性と思いますが、そういう不自由さが、逆に、プラスを産むってことがやっぱりありますよね。これが、ビートルズかけ放題だったら、それに頼りすぎてしまったと思うんですよ。それもすごく面白い体験でしたね。
──そこで、視聴率が、安定して20%台が続くようになりました。
熱量が伝わったんですかね(笑)。実を言うと、そこまで、時制的にかなり強引なんですよ。東京オリンピックで日本中が熱狂している中、ヒロインがテレビを見ていて、そのとき、お父ちゃんがいなくなっているっていうことにしようと、まず決めたものの、それは史実として64年の10月で、ずらせない。そこからビートルズが来るまでに間がないんです(笑)。家族で最後に稲刈りをするのが8月から9月に近い時期で、その幸せな時間から、オリンピックがはじまる前にお父ちゃんがいなくなるのは、リアルに考えると、とても短いんですよ。何ヶ月も探したけどみつからないということにならないんです(笑)。
──そこは駆け足だった(笑)。
さらに、その翌年、みね子が卒業して就職しますが、その翌年にビートルズが来るので、その時点で赤坂にみね子がいるために、向島電機が、みね子が入ってすぐ倒産することになってしまった。乙女たちの友情があんなに盛り上がっていたけれど、八ヶ月くらいしか一緒に過ごしていないんです。
──ビートルズ合わせで、駆け足に(笑)。意外とそこはツッコまれていませんよね。
そこから急にペースチェンジして、1、2年と月日が一気に進むふうにはできなくなってしまったというのはありますね。ドラマの半分過ぎたところで2年くらいしか経ってないのに、ここから一気に7年経過させるのは無理だろうと。
──その縛りもいいことに転化したのではないでしょうか。岡田さんのビートルズ来日ドラマへの思いが功を奏した。
にもかかわらず、ヒロインはビートルズに全然興味がないっていう(笑)。あれだけのことがあっても、その後もさほど興味をもってないんですよね。宗男の奥さん(山崎静代)も最後まで興味なさそうだったしね(笑)。