Jun 04, 2026 column

『アン・リー/はじまりの物語』魂の救済を求めて歌い踊る 祈りのミュージカル

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エゴなき指導者が生み出す新たなカタルシス

かつて映画監督のエゴイズムは、作家性の証明そのものだった。

『シャイニング』(1980)で、127テイクものリテイクを強要し、精神的に追い詰めることで狙い通りの表情を搾り取ったスタンリー・キューブリック。『ソーシャル・ネットワーク』(2010)の冒頭だけで99テイクを重ね、俳優の自意識を削ぎ落としていったデヴィッド・フィンチャー。そして『地獄の黙示録』(1979)で、主演のマーティン・シーンが心臓発作で倒れ、台風によって巨額のセットが壊滅したにもかかわらず、狂気的な完璧主義を貫いて現場を破滅へと追い込んだフランシス・フォード・コッポラ。

これらはすべて、己の脳内ビジョンをミリ単位で画面に定着させようとする、独裁主義の産物だ。緻密に計算された構図と編集がもたらす映像の快楽は、確かに素晴らしい。しかし、本作を手がけたモナ・ファストヴォルド監督のアプローチは、こうした俺様系の巨匠たちとは見事なまでに真逆だ。彼女が撮影の指針としたのは、他ならぬ主人公マザー・アン・リーの「エゴなき指導者」としての無私無欲っぷりだった。

歴史上のカルト指導者といえば、信者を恐怖で支配し、私利私欲の限りを尽くすのが相場だが、アン・リーは違う。暴徒に襲撃された際、彼女は服を剥ぎ取られて凄惨な暴力を受ける。だがそれでも、やられたらやり返すような復讐に走ることなく、加害者たちに向かって「あなたたちの罪を赦し、魂のために祈る」と語りかける。自らの権力を誇示するのではなく、ひたすらに無私の愛を貫き、人々が平和に暮らせるユートピアの創出を求めたのだ。

ファストヴォルド監督もまた、スタッフとキャストから「マザー・モナ」と慕われるほどの信頼関係を育み、俳優が安心して演技に没頭できる環境を構築。撮影現場には作曲家のダニエル・ブルームバーグが常駐し、リハーサルの傍らで常に劇伴を生演奏し続けた。言葉による指示に頼るのではなく、鳴り響く音楽によって、スタッフとキャスト全員の空気感を同期させていったのだ。さらに、プレイバック(事前録音)を使用する撮影の際は、俳優全員にピンマイクを装着。綺麗に録音された歌声に頼るのではなく、むき出しの感情を同調録音することで、失敗を恐れずありのままの声を解き放つ演技を引き出した。

撮影監督のウィリアム・レクサーは、こう振り返る。

「モナの演出スタイルとは、権力で威圧するのではなく、自らの圧倒的な情熱とヴィジョンによって周囲をインスパイアして率いるというものです。それはまさに、劇中のアン・リー自身が信者たちを導いた方法と完全に重なり合います」

「エゴを捨て、無私の愛でコミュニティをまとめる」というこの映画のテーマが、カメラの裏側でもしっかりと実践されている。その結果、生身の人間たちのエネルギーがぶつかり合い、ひとつの巨大な有機体となってうねりを生み出すような、凄まじい映像体験が生まれたのだ。