Apr 28, 2026 column

特集:角川映画祭 蘇る熱狂の50年 GWより珠玉の名作40作品一挙上映

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1970年代から80年代にかけて、「読んでから見るか、見てから読むか」という鮮烈なキャッチコピーと共に、メディアミックスという手法で日本中を熱狂の渦に巻き込んだ角川映画。その50周年を記念するプロジェクトの第一弾として、「角川映画祭」が5月1日より角川シネマ有楽町ほかで順次開催される(7月4日からは大阪・シネ・ヌーヴォでも上映)。同映画祭では、選りすぐられた40作品が一挙に上映されるが、最大の目玉は、当時の異様な熱量を現代のスクリーンに鮮明に蘇らせる「4K修復版」での上映だ。とりわけ注目したいのが、今回が4K初披露となる薬師丸ひろ子主演作『Wの悲劇』だ。

4Kリマスターで蘇る『Wの悲劇』──令和の若者が驚き、ロードショー世代が再発見する「怪物たちのラビリンス」

今の若い世代は、このタイトルに出会ったとき、「ダブリューのひげき」と読めるだろうか。1980年代の角川映画全盛期、メディアミックスの熱狂の中にいた私たちは、薬師丸ひろ子が歌う主題歌のシャワーを日々浴びていた。「ダブリュー」という響きは、映画を観る前から「音」として私たちの脳裏に深く刻み込まれていた。 本作は、夏樹静子の同名ミステリー小説を原案としながらも、澤井信一郎監督が大胆な劇中劇のメタ構造を取り入れて作り上げた1984年の傑作だ。劇団の研究生である三田静香(薬師丸ひろ子)が、次回公演『Wの悲劇』のヒロインの座を射止めるため、看板女優・羽鳥翔(三田佳子)が引き起こしたスキャンダルの身代わりを引き受ける。そこから始まる、芸能界の闇と女優たちの野望を描いた愛憎劇である。

 20歳の薬師丸ひろ子と、配収15.5億円の熱狂

1984年12月の公開当時、高校生だった私は劇場へ足を運んだ。当時の日本映画界は角川春樹率いる角川映画がエンターテインメントの中心に君臨しており、本作は原田知世主演の『天国にいちばん近い島』との豪華二本立て(同時上映)として正月興行に打って出た。結果として、このプログラムは配給収入15億5000万円という大ヒットを記録し、翌年の邦画ランキングを席巻する。まさに角川映画の絶頂期を象徴するお祭り騒ぎの中心にあった。

その熱狂のど真ん中にいたのが、主演の薬師丸ひろ子である。13歳で角川映画のオーディションに合格。1978年、高倉健主演の『野性の証明』で鮮烈なスクリーンデビューを飾って以来、1981年の『セーラー服と機関銃』、1983年の『探偵物語』『里見八犬伝』と、主演映画はことごとく社会現象を巻き起こすメガヒットを連発。清純でありながらどこか神秘的な輝きを放ち、主題歌を歌えば大ヒット。彼女は間違いなく、1980年代前半の日本における「最強のトップアイドル」であった。

そんな彼女が『Wの悲劇』の主演に挑んだのは20歳の時。10代の神聖な少女から、大人の「女優」へと脱皮を図るまさにその分岐点であった。だからこそ、公開前からテレビCMや予告編で幾度もリフレインされた劇中劇の「私、おじい様を殺してしまった!」というセンセーショナルなセリフは、大人の階段を上る彼女の新たな挑戦として、私たちの耳と目に強烈にすり込まれていた。

しかし、実際の映画の幕開けは、その予告編をも心地よく裏切った。主人公・静香は、同じ劇団の先輩俳優(三田村邦彦)を相手に薄暗いラブホテルで処女を捨てる。理由は次回作で役を勝ち取るため。そして、アパートの自室に戻るとコップの水を飲み、カレンダーに丸をつける。それは劇団のオーディションの日である。

当時人気絶頂だった清純派のトップアイドルに、20歳という節目とはいえ、こんないきなり生々しい役を演じさせたこと自体が大きな驚きだった。だが、さらに驚かされるのは、彼女がこの出来事を「私、女っぽくなったでしょ」程度の、あっけなくドライな通過儀礼として処理していることだ(当時は、こんなことに気づきもしなかったが……)。

荒井晴彦の脚本が盛った「恐るべき毒」

この冷徹なまでにドライな感覚、そして人間のドロドロとした欲望をスクリーンに叩きつけた張本人こそが、脚本を手掛けた荒井晴彦(『火口のふたり』)である。日活ロマンポルノなどで人間のむき出しの性や「業」を描き続けてきた名手の毒が、角川映画が誇る純真無垢なトップアイドル主演作にたっぷりと注ぎ込まれたのだ。

そもそも夏樹静子による原作は、大富豪・和辻(わつじ)家の当主殺害を巡る、アガサ・クリスティへのオマージュに満ちた正統派の本格ミステリーである。Wとは「和辻」のWでもある。しかし、荒井と澤井監督はその殺人事件の謎解きをそっくりそのまま「劇中劇」へとスライドさせるという離れ業をやってのけた。「誰が殺したのか」という謎解きなど早々に舞台上の虚構として押しやり、映画の真の焦点を「ヒロインの座を奪うため、現実の人間がどこまで業を深められるか」というバックステージの愛憎劇へと180度転換してみせたのである。

特筆すべきは、主人公・静香の「現実」と「虚構」に対する温度差だ。荒井脚本のヒロインは、自らの肉体的な喪失や現実の貞操には驚くほど無頓着である。しかしその一方で、「舞台の主役」という虚構のポジションのためなら、文字通り魂すら売り渡してしまう。あの予告編で日本中が耳にした「私、おじい様を殺してしまった!」という劇的な悲劇のヒロインの座を手に入れるためなら、己の肉体も、他人のスキャンダルも、すべてを踏み台にして利用するのだ。 ここには、昨今のシンプルな女性同士の連帯や「被害者と加害者」といった構図では到底くくりきれない、どすぐろいエゴイズムがある。何を引き換えにしてでも何者かになりたいという、むき出しの承認欲求。荒井晴彦の手によって、トップアイドルは「女優という名の怪物」へと変貌を遂げたのである。

令和から見る「昭和の狂気とパワハラ」

令和の視点で観ると、劇中の舞台稽古のシーンはなかなかの違和感、いや、衝撃を覚えるはずだ。

役者を極限まで追い詰める演出家の激しさと、飛び交う怒号。実際に灰皿こそ飛んでこないものの、いつ飛んできてもおかしくないほどの異様な熱量とヒリヒリした緊張感に満ちている(しかも、いかにも蜷川幸雄的な演出家を、蜷川幸雄本人が演じているのだからたまらない)。現代の厳格なコンプライアンス基準に照らし合わせれば「完全なアウト」な光景の連続だが、クリーンに純粋培養された今のエンターテインメントからは失われてしまった、危険で暴力的なまでのエネルギーがそこには渦巻いている。

その狂気のピークが、中盤の記者会見のシーンだ。三田佳子演じる大女優・羽鳥翔のパトロンが腹上死するという現実のスキャンダルを、自らのステップアップの身代わりとして引き受ける静香。フラッシュが激しく瞬く中、嘘の会見で堂々と「完璧な悲劇のヒロイン」を演じ切る彼女を見て、すべてを仕組んだはずの大女優・羽鳥が底知れぬ嫉妬を覚える。可憐な少女が怪物へと羽化する瞬間であり、現実と芝居の境界線が完全に崩壊し、観客もまたラビリンス(迷宮)へと引きずり込まれていく最高のサスペンスである。

エンドロールと4Kが語る、日本映画の血脈

そして今回、4Kリマスター版として蘇った映像の「質感」にも触れないわけにはいかない。

4K化とは、決して古い映像のノイズを消してピカピカに明るく加工することではない。本作の撮影監督であった名匠・仙元誠三(2020年逝去)がかつて修復の際に監修した色味や明暗のデータを元に、「暗いところはあえて暗く」、当時の35mmフィルムに焼き付けられていた重厚な空気感と深い陰影を、デジタルの世界で完全に解き放つための作業なのだ。

本編が終わり、鮮明になったエンドロールのクレジットを眺めると、ある発見がある。スタッフ助手といったポジションに、後に大ヒットドラマ『ショムニ』を手掛ける鹿島勤、北野武監督作品のキタノブルーを支えた撮影監督・柳島克己、『相棒』シリーズの只野信也ら今の日本映画界を代表するベテランたちの若き日の名前を見つけることができる。

あの若き助手たちが、40年の時を経て巨匠のバトンを受け継いでいる。そんな「映画史の血脈」をはっきりと視認できるのも、この4K版の大きな醍醐味であろう。

少しの炎上で社会的にキャンセルされ、誰もがSNSという監視社会の中で「クリーンな自分」を演じることを強いられる令和の時代。そんな今だからこそ、何かを犠牲にしてでも圧倒的な光を放とうとする本作のエネルギーは、コンプライアンス世代の若者には信じられないほどの「驚き」として映るはずだ。

そして私のように、かつてロードショーで本作を目撃した世代にとっては、記憶の中で美化されたアイドル映画という枠組みを軽々と飛び越える、荒井晴彦の毒が染み込んだ本物の野心作としての「再発見」となることだろう。40年の時を経てさらに凄みを増したこの迷宮の熱を、ぜひスクリーンで体感してほしい。

文 / 平辻哲也

映画情報
『Wの悲劇』

劇団「海」の研究生、三田静香(薬師丸ひろ子)は、舞台「Wの悲劇」摩子役のオーディションを受けるが落選。セリフが一言しかない役とプロンプターを懸命に務める彼女に劇団の看板女優、翔(三田佳子)が労いの小遣いを渡す。そのお礼を伝えるために翔の部屋を訪ねた静香は、思わぬ事態に巻き込まれてしまいー。

[監督] 澤井信一郎
[原作] 夏樹静子
[脚本] 荒井晴彦 / 澤井信一郎
[音楽] 久石譲
[出演] 薬師丸ひろ子 / 世良公則 / 三田村邦彦 / 三田佳子

© KADOKAWA 1984