レジェンド声優インタビュー 矢尾一樹[涙のデビュー編]
arranged by レジェンド声優プロジェクト
アニメ黄金期の立役者である「レジェンド声優」と、自らもレジェンドである声優・古川登志夫さん、平野文さんによる濃密トークをお送りするレジェンド声優インタビュー。今回は、まるでロックスターのごとき風貌や、「やってやるぜ!」という名セリフで、80年代アニメ業界で、オンリーワンの存在感を発揮していた矢尾一樹さんにご登場いただきました。『超獣機神ダンクーガ』『機動戦士ガンダムZZ』そして、『ONE PIECE』……。今日まで続く、矢尾さんの俳優・声優道とは?
一流俳優の男泣きが、矢尾少年を演技の世界へと導いた
- 古川登志夫: (以下、古川)
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今回のゲストは、矢尾一樹さん。レジェンドの一人として外せないお一人ですね。
- 矢尾一樹: (以下、矢尾)
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よろしくお願いいたします。この連載、ずっと見ていたんですよ。すごい面子だなぁって!
- 平野文: (以下、平野)
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どうですか、このスリーショットは(笑)。
- 矢尾:
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やっぱり安心感がありますよね。最近の現場は若い人が中心じゃないですか。目上の方が多い方が、後輩としては楽ですよ。今でも心は「ド新人」ですから。
- 平野:
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じゃあ、リラックスして、声優としてのこれまでの歩みをふり返ってもらおうかしら。この企画の狙いのひとつは、レジェンドの皆さんのそうした記憶を、後輩たちに残していくことでもあるんですよ。今日は、これまで黙っていたような秘密もどんどん吐き出してくださいね(笑)。
- 矢尾:
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いいんですか? 俺は赤裸々過ぎてヤバイんで、いつも生放送は避けるようにしているくらいなんですけど(笑)。
- 古川:
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今回は赤裸々に語ってもらいましょう!
- 平野:
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では、まず、この世界に入ったきっかけから聞かせて。最初は役者志望だったのよね? いつ頃、それを意識し始めたのかしら。
- 矢尾:
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それは忘れもしない、14歳の時ですね。当時(1970年代)、歌舞伎の役者がシェイクスピアをやるというのが流行ったんですけど、覚えてます?
- 古川:
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そういうのあったね。五代目 市川染五郎さんとかね。
- 矢尾:
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そんな中、母と姉に連れられて、三代目 河原崎権十郎主演のシェイクスピア劇(1977年・新橋演舞場公演『オセロー』)を観に行ったんです。それがちょうど千秋楽でね。最後の舞台挨拶で権十郎さんが「ここまで勤め上げられたのは、共演者とスタッフのおかげです」と涙ながらに語っているのを見て感動してしまいました。聞けば、権十郎さん、公演直前に倒れられた二代目 尾上松緑さんの代役で急遽、主役を演じることになったそうなんですよ。その重責を見事にやり遂げた姿に「俺もこの世界で生きたい!」って強く思わされました。
- 平野:
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14歳で、すごいものに出会い、自分もそうなりたいって思ってしまったわけね。
- 矢尾:
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でも、どうやれば役者になれるかがさっぱりわからないんですよ。父親が公務員というお堅い家系だったので、そういう縁故も全くなく……。それで児童劇団に所属しようかと思い立ったのですが、父親には「あほか」と一蹴されてしまいました。「まずは大学に入れ。大学の4年間でいろいろなことをやってみて、その中から、自分の生きる道を見つけなさい」って。
- 平野:
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ただ否定するだけじゃなくて、きちんと道を示してくれるなんて、良いお父様じゃない。