May 21, 2026 interview

元ワーナー ブラザース ジャパン 映画部門代表 山田邦雄が語る (1)  日本映画界を驚愕させたワーナーの決断

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ワーナーの“邦画” 戦略

池ノ辺 ワーナーというと、洋画のイメージですけど、邦画はどんな状況だったんですか。

山田 2000年の初め頃に、「トワーニ」という映画制作会社があったんです。東芝と日テレとワーナーの頭文字を取って「トワーニ」。そこで3本、邦画を作りました。『さくや 妖怪伝』(2000) 、『天使の牙 B.T.A』(2003) 、『キューティーハニー』(2004)。でも残念ながら数字はあまり良くなかったため、この先も邦画を続けていくべきなのか、迷っている時期でした。そんなタイミングで、2005年、日本テレビさんから『デスノート』(2006) の配給をお願いされました。

池ノ辺 製作は日本テレビですか?

山田 そうです。当時日テレの奥田誠治さん (現松竹株式会社エグゼクティブプロデューサー) が日本代表のアイアトンさんに企画を持ち込み、宣伝に関根さん、営業を私が担当しました。その作品が大ヒットとなり、2007年頃から本格的に邦画に取り組もうということで、チーム作りが始まったと理解しています。

池ノ辺 ワーナーはもともと、ワーナー・ブラザースが製作したものを日本支社で配給するというかたちでしたよね。それを邦画を本格的にやろうというのは、本社としてはどういう反応だったんですか。

山田 もちろん本社の指示があって動いていたましたし、トワーニの頃から「邦画も積極的にやっていけ」という指令はあったんだと思います。

池ノ辺 そうすると洋画の配給をしながら邦画もやるということですよね。ただでさえワーナーさんの洋画って規模が大きいわけですから、その両立は大変だったんじゃないですか。

山田 そうですね。邦画の配給や宣伝は洋画とはやり方がかなり違っていたので、そういう意味では非常に苦労も多かったと思います。ただ実際にやっていく中で、徐々にノウハウを学んでいった感じですね。それと、ワーナーの場合は、本社に邦画を担当するチームを作り、アメリカ式の映画制作について色々教えてもらいました。映画の作り方だけではなく、どう利益を出していくかなど、制作に必要なノウハウを学び、それを軸に我々は邦画戦略を立てながら制作を進めてきました。

池ノ辺 それは日本だけじゃないんですね。

山田 日本だけでなく、ヨーロッパを含むマーケットの規模が大きい国々に対しても積極的に自国映画制作を進めるよう取り組んでいました。

池ノ辺 それってハリウッドの映画の力が落ちてきたからということなんですか。

山田 というよりも、邦画にはまだまだ大きなビジネスチャンスがあると考えだったと思います。ですから、我々も中国映画の『HERO』(2002) 、『LOVERS』(2004) などの作品を買い付けたりしました。結果的にはそれも大ヒットしています。そのあたりも、当時の本社が先を読んで進めていったんじゃないかと思います。