ドラマ『Dr.コトー診療所』産みの苦しみから映画まで
池ノ辺 ドラマのDr.コトーの撮影は大変だったんですか。
中江 緊張していたし気張ってました。続々とキャストが決まってく中で、下手なものは作れないと思ってましたから。今でこそあんな豪華な人たちが集まったと言われますけど、小林薫さんは、久しぶりのフジテレビのドラマで、泉谷しげるさんも、ドラマに出るのが久しぶりだったと思います。
時任三郎さんはニュージーランドで暮らしていたところから日本に帰ってきたばかりで、柴咲コウさんは連ドラに出て2、3本目くらいだったかと思います。筧利夫さんなどは舞台の第三舞台の看板役者ですよね。そういう意味で当時は今ほど豪華キャストのイメージではなかったんですが、ほとんど初めての方だったので、気合入れていかなきゃという変なプレッシャーがすごく強かったんです。
池ノ辺 私はドラマもずっと拝見してまして、物語も素晴らしかったんですが、何よりあの島自体がすごく良かったと思ってるんです。
中江 あの島を見つけるのはけっこう大変でした。いろいろ探したんですけどなかなか決まらなくて、諦めて伊豆あたりで島っぽく撮るか、という話まで出ていたんです。そんな時に制作部が、「ここにこんな島があります」と持ってきたのが与那国島でした。地図で示されたんだけど「ここ日本なの?」って言っちゃうくらい遠かった。でも見にいったら、港の景色も海の感じも素晴らしくて、これならいけるかもとなったんです。
![](https://d17egyts7igch8.cloudfront.net/wp/wp-content/uploads/2022/12/bec3d0a2c93ab0f23ab31f44e5399d11.jpg)
![](https://d17egyts7igch8.cloudfront.net/wp/wp-content/uploads/2022/12/011c12320f38c838639eac18835bc394.jpg)
![](https://d17egyts7igch8.cloudfront.net/wp/wp-content/uploads/2022/12/6cdd8b2115cd0771c3ac9dd893ada6ca.jpg)
池ノ辺 素敵な島だけど、すごく遠かったんですね。それだけ遠いと、撮影が大変だったんじゃないですか?
中江 ドラマの時は、最初60日くらい島にいて、東京に戻って1ヶ月くらい撮影して、また島に行って1ヶ月‥‥、とにかく最初の島の撮影が本当に長くて大変でした。もう本当に泣いて帰ったスタッフが何人か出たくらいで‥‥。僕自身もやめたいと何度も会社に連絡しました。島から「帰っていいですか」と電話して、「とにかく今回の1話だけでも撮って帰ってこい」と言われる、そんな状況でした。
池ノ辺 何が原因で大変だったんですか?
中江 僕が原因です(笑)。せっかくこの島に来て、変なものを撮っては帰れないというプレッシャーが強かったんですね。端っこに雲が入ったから撮り直しとか、影雲が顔にかかった、ほしいところに雲が無い、風が強いとか、そういうことでいちいち撮影を止めて、なかなかOK出さずに、ずっと撮ってたんです。だからなかなか終わらない。1話撮るだけでひと月以上かかてました。
しまいには小林薫さんに呼び出されて、いつまでやってるんだ、雲と役者とどっちが大事なんだと言われました。黒澤明じゃないんだからと。僕としては、「黒澤明だったらむしろまだ撮らないだろ」ぐらいに思ってましたけど(笑)。それでも、とにかく1話が出来上がるまで待ってくれ。これでやらせてくれと話をして、結果的に、1話が、みんなに良かったと思ってもらえたのか、なんとか受け入れてもらえて、そこから僕もずいぶん気が楽になりました。
![](https://d17egyts7igch8.cloudfront.net/wp/wp-content/uploads/2022/12/20221026-_DSC7355.jpg)
池ノ辺 再度、その島を舞台に今回は、最初のドラマから約20年、2期が放送されてから16年ぶりでの映画化ということですが。
中江 今回は、何もストレスがなかったですね(笑)。僕はロケハン含めてひと月くらい島にいたんですが、撮影自体は3週間ほどで、あっという間でした。撮影が始まってこれからという時に終わっちゃったような感じで寂しかった(笑)。島ではあまり重いシーンがなかったので、みんなもリラックスしていたと思います。
池ノ辺 前回の撮影からずいぶん時間が経っていますけど、島の人たちはどんな感じでしたか。
中江 島では、連ドラ時代にレギュラーでエキストラに来ていた人たちが、今回もたくさん参加してくれてました。前回は赤ちゃんを連れてきていた人が、「今日はあの子はセンター試験に行ってる」なんて言ってました。時の流れを感じました。島の人たちはけっこう覚えていてくれて、「おかえり」と言ってくれたのが本当に嬉しかったですね。