- 池ノ辺
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で、もうひとつ、当時の小松さんの逸話として有名なのが、オムニバス映画の『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1987)。
その中のひとつの『パパはミイラ』というウィリアム・ディアが監督したもののタイトル、小松さんが考えたんだよね。
『パパはミイラ』っていうタイトル。
- 小松
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ほんとに? 全然覚えていないな。
- 池ノ辺
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当人が覚えていない!? CICの名物宣伝マンだった大森さんが、三部作のタイトルをどうしようかと、みんなで話し合っていたら、「パパはミイラでどうですか?」と小松さんが言って、それで決まったの。
- 小松
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いやあ、どうだろう(笑)。
- 池ノ辺
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本編のタイトルも決まらない中、予告編を先に作ろうとなって、そこで、「パパはミイラってどうかしら」と小松さんが言って決めたんだよ。
それで、「すごいなあ、この人、タイトルも作っちゃって」と感心したんだから。
- 小松
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それはよく覚えていないけど、よくワーナー映画から、「タイトルも考えてよ」と言われることは結構、あった。
でも、結局、僕が考えたのはダメなんですけどね。
時々そういうことを言われてたなあ。
タイトルはみんな苦労しているわけです。
邦題をつけるのをね。
- 池ノ辺
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そういう意味で、当時の映画業界はすごいアットホームだったね。
- 小松
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確かにそうだったね。
宣伝部の人もちょっと変わった人が多くて、独断で突き進んじゃって、後で社長に怒られたとか。
ヘラルドなんかはそういう面白い人が多かったよね。
- 池ノ辺
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ヘラルドの仕事は、今年の2月に、ヘラルド出身の谷川健司さんが「日本ヘラルド映画の仕事–伝説の宣伝術と宣材デザイン– 」(パイインターナショナル)を出されて、再評価されたりしましたけど、他にも『エマニエル夫人』(1974)を大ヒットさせた。
- 小松
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NHKのドキュメンタリーで、『エマニエル夫人』の宣伝の山下健一郎さんが、出てましたけど、山下さんも脚本書く人だしね。
作家性のある人、ちょっとタレント性のある人とか、ちょっと面白い人たちが結構宣伝をやってましたよね。
- 池ノ辺
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そうだね。
変わってる人や熱い人が多かった。
次回はそんな中、大ヒットが生まれる映画の話です。
(文:金原由佳 / 写真:岡本英理)
映画『ボンジュール、アン』
仕事漬けで妻には無頓着な夫(アレック・ボールドウィン)とカンヌまで一緒にやってきたアン(ダイアン・レイン)。ひょんなことから夫の仕事仲間のフランス人男性・ジャック(アルノー・ヴィアール)と一緒にパリまで車で移動することになる。7時間で到着するはずが、コート・ダジュール地方の名所や遺跡、美味しい食事とワインなど案内され、気付けば小旅行に。思いがけない寄り道旅を通して、アンは自分が忘れていた”人生の楽しさ”に気づかされていく…。
『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』でエミー賞を受賞したエレノア・コッポラの、80歳にして長編実写映画監督&脚本デビュー作。「人生って、まだまだステキ」と、明日の私に元気をくれる物語。
配給:東北新社 STAR CHANNEL MOVIES
映画 『ボンジュール、アン』TOHOシネマズ シャンテ他にて全国公開中
公式サイト http://bonjour-anne.jp/
PROFILE
■小松敏和(こまつ・としかず)
株式会社バカ・ザ・バッカ 創立メンバー
1952年生まれ。1976年、株式会社武市プロダクション入社。予告編デビュー作は「ジャンクマン」(82年)。1987年、株式会社バカ・ザ・バッカ設立に参加。「南極物語」(83年)で予告編コンクール予告編大賞。「死霊のはらわた」(85年)、「東京国際ファンタスティック映画祭」(85年〜05年)、「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(89年)で予告編コンクール予告編大賞。「ムトゥ/踊るマハラジャ」(98年)、「アメリ」(01年)、「おくりびと」(08年)、「冷たい熱帯魚」(11年)など、40年間を通して、約1500本の予告編を制作。2017年6月、株式会社バカ・ザ・バッカを定年退職。