Jul 14, 2017 interview

第1回:予告編オファーは、ストレートに怖い、もしくはちょっとふざけたいときだと僕宛にくる。

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池ノ辺

私、その頃、ちょうど、所属していたプロダクションから外れてフリーになって2年ほど経った頃ですね。

当時、ハリウッド映画は絶好調!CIC映画さんからチャンスをもらって予告編を作ってすごく忙しかった。

小松

上映数がすごかったからね。

池ノ辺

『フラッシュダンス』(1983)、『ソフィーの選択』(1982)、『フットルース』(1984)の時代。

それまで予告編というのは、映画配給会社の制作部が作っていて、本編を作るのと同じように予告を作っていたんですね。

でも、CICの公開する本数がすごく多くなったので、それで小松さんや私のような20代に声がかかったんだと思うんです。

小松

とにかく人が足りなかったんじゃないかな。

僕が最初にCICに依頼されたのは『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』(1985)。

予告編は違う人が作っていて、TVスポットだけを頼まれたんだけど、そんなに大きな作品じゃないのに、意外と、作品が当たったんですよ。

スティーブン・スピルバーグの製作総指揮だけど、監督のバリー・レヴィンソンも、出てる人も当時は無名で。

池ノ辺

あ、本編の予告編は私が作ったかも。

小松

そうかもしれない。

『ヤング・シャーロック』のときは映画自体、低予算の作品で、TVスポットもそんなに大規模じゃなかったんだけど、でも、宣伝部としてはいいTVスポットを作りたいという意欲があって、結構当たったでしょ。

その時、宣伝担当の人から言われて心に残っている言葉に、「作品がすごくいい内容で、周囲から期待されていても、結果、当たらなかったら宣伝が悪いと言われる。そうでもない作品で当たると、作品が良かったからと言われる。つまり、宣伝はどちらにしても報われない。でも、『ヤング・シャーロック』はそんなにヒットする作品じゃないと言われて当たったから、宣伝とTVスポットが良かった」と。

要するに宣伝のおかげでヒットしたということを認めてもらえた作品だったんですって。

宣伝担当の人もすごく嬉しかったみたいで、それで、CICから『ロッキー4/炎の友情』(1985)の予告をやらせてもらうように。

そこから、アクション系、ホラー系、『 007 』シリーズ、『ポルターガイスト2 』(1986)とか声がかかるようになった。

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池ノ辺

『ポルターガイスト1 』は私だ!

小松

ホラーでも、『ペットセメタリー』は池ノ辺さんでしょ。

映画会社も、ホラーでも、予告編で少しロマンチックな要素を出したいときは池ノ辺さん。

ストレートに怖い、もしくはちょっとふざけたいときは僕に来る(笑)。

あと、僕はコメディーが多かった。

池ノ辺

当時の小松さんの予告編で有名なのは『死霊のはらわた』だけど、あれはヘラルド?

小松

そうだね。