Oct 18, 2021 interview

大東駿介が語る、脚本を読む前に出演を決めた 映画『草の響き』の話と人生で大切にしていることについて

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―― 心に失調をきたした和雄は本当にギリギリのラインに居ます。そんな和雄を研二は救うことが出来るのか、とても気になって映画を観ていました。

映画自体が情報量も説明も少ないので「何が伝えたかったの?」「何が起きたの?」と物事やプロセスで話されると掴みどころがないかもしれません。ただ、次に同じような状況が自分に起こった時の為に考えられている自分が居ると思うんです。和雄みたいな人の傍で自分は何が出来るのか、そう考えられた時点でこの映画の存在価値が生まれる。痛みを持って知らされることは凄くあると思います。

―― 斎藤監督はどんな想いでこの映画を作りたいと仰っていましたか。

監督からは、どういう想いでこの映画を作りたいとか聞いていないんです。でも、監督の生き方、そこに至るまでが確固たる意志のもとに居るということが凄く伝わったんで、聞くまでもなかったという感じです。当然のように映画の中で生きている人で、こっちがちょっと不安になるくらいに撮影現場で迷いがなかったんです。無駄なカットが一切ない。ほとんどが長回しだったからテクニカル的なところで“これ、大丈夫かな?”とちょっと不安になる瞬間もありましたが「この人が作りたいものが絶対にそこにある」と気付いたし、純度が高くて疑う余地がない感じでした。

―― 大東さんは歳を重ねながら映画と共に進化している印象があります。特に作品に対する愛や関わり方が変わって来ているような気がするんですが。

もはや世の中に対して恥ずかしいことが無くなったからではないでしょうか(笑)散々色々なものを見られてきたし、散々叩かれてきたので“もうええかぁ”みたいな。笑ったらアカン話なんですが、ありがたいことにいまだに俳優として呼んでもらっていることのありがたさはひとしおだし、前以上に台本やカメラの前に居る自分に対して“自分はどうしたい”という意思が無くなったような気がします。素っ裸のありのまま。役割としてどう居るかに重きをおく、恥ずかしいという想いが無くなって、ある種プライドが無くなったというプライドが芽生えた感じです。呼んでもらえたのだから、ここで自分が何を出来るのか「必死に考えます」みたいな、それが凄く幸せでありがたいです。

―― 『37セカンズ』もそうですが、興味を持っていた題材の役を引き寄せていますよね。

『37セカンズ』はHIKARI監督の熱量というか、彼女の生き方が影響したのかもしれません。彼女は本当に映画を産むということもそうですが、そこに携わる人、そこに至る自分の経歴、全てを愛していて大切にしているんです。

例えば、あるシーンで「駿介、あそこはもうちょっとこういう風なアプローチで」と言った延長線上で「そのスキルは絶対に今後、あなたの俳優として武器になるから日本に帰ったら一回、ワークショップしようか」と(笑)シーンの話から僕の人生の話になったんですよ。僕のことも関わる人間も映画の未来も、自分が映画を作るということで社会にどんな影響を与えることが出来るのか考え、愛情とエネルギーを持って生きていらっしゃったので、それがとても心地良かったです。今は恥ずかしいことが何もないので、そういう自分だからこそ出来るものを呼んでいただける限りはやっていこうと、それが今の自分の生き方です。

―― 辛い経験もして、人の嫌な面もネット上などで感じることもあったと思います。

それは自業自得でもあるので。それも含めて自分を正当化するわけでもなく、全部を受け止めていくべきだと思っています。どっかで同じように苦しんだり、悩んでいる人が居た時になんか力になれたらとも思うし。偽善とか言われたとしても“自分は叩かれても、もうええかな”ってちょっと思っているかな。どこかの当事者が一人でも“なんか、楽になった”と言ってくれたらそっちを選ぼう、そんな感じです。

「ごめんなさい」ということがあったからこそ、それでも役者をやらせてもらっているというありがたさがあります。僕らの仕事は呼ばれなくなったら終わりだからね。呼んでもらえる限り、妙なカッコつけとか、建前は捨てて「僕が出来ることは、精一杯やらせてもらいます」と、アホが「アホです」と言えるようになった感じかな(笑)今まではアホを隠していたけど「僕はアホです。このアホがどこかの同じ様な気持ちの人たちの救いになるように、その役割があるんじゃないかと気づきました」、そんな感じです。

―― 先程から「誰かの救いになるなら」という言葉が何度か出ていますが、それを今は凄く大事にされているんですね。

文字で見ると、大層な事言ってるようやけどホンマに僅かな救いでいいんです。ちょうどいい湯加減のお風呂に浸かっている感じで「ほっとしたな」ぐらいになればいい、恥ずかしげもなく生きるってええなぁと。役割を失うようなことをしてきたけど、ここで見つかった役割みたいなものが自分の中で一つあるかもしれない。『草の響き』でもそれを体現したいと思っていました。