Oct 18, 2021 interview

大東駿介が語る、脚本を読む前に出演を決めた 映画『草の響き』の話と人生で大切にしていることについて

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函館を舞台に心に寄り添い、感情を深く味わう作品を生み出してきた佐藤泰志の小説、五度目の映画化『草の響き』。本作は心に失調をきたした男を支える妻と親友の物語であり、不安と孤独に苛まれる全ての人たちを優しく包み込む風のように観客をも函館へ誘います。海のそばで彼らの交流を静かに見つめ、感情の機微を紡ぎ出したのは『空の瞳とカタツムリ』の斎藤久志監督。心を病んだ主人公・和雄には『寝ても覚めても』以来3年ぶりの主演作となる東出昌大。そんな夫を理解しようとする妻・純子には『マイ・ダディ』の奈緒。そして和雄に寄り添う友人・研二を大東駿介さんが演じています。今回は、優しい眼差しで夫婦を見守る研二をどう演じたのか、そして“今、人生で大切にしていること”を大東さんにじっくりと伺います。

―― 最初に脚本を読んだ時の感想を教えて下さい。

正直に言うと、この作品は脚本を読む前に出演を決めたんです。理由は原作が佐藤泰志さんで凄く低予算なんだけど函館で全編撮影を行い、函館シネマアイリス25周年記念作品として製作されると聞いたからです。このコロナ禍の中で映画館の苦しい状況も知っていましたし、それでも映画を作ろうとする映画館の想いに「これは絶対に参加したい」と思って、社長に「とにかく、この映画(『草の響き』)をやるからスケジュールをどうにかして欲しい」とお願いしたんです。

それと「出来れば全編の撮影が終わるまで、帰ることなく函館に居たい」とも伝えました。実は、自分の中でいろんなことが重なったんです。『37セカンズ』(公開:2019年)で共演した渡辺真起子さんたちと「映画館の力になれないか」と話していて、僕自身映画に救われてきたし、「映画には意味がある。映画を作ろう、映画館を盛り上げていこう」と考えていて、そんな時にこの企画を頂いて感動しました。

それにキャストも多くない中で自分の名前を上げてくれたことが本当にありがたかったです。脚本を読んでみても今の自分自身が救われる部分もありました。衣装合わせの時の待ち時間に東出(昌大)君が外で煙草を吸っていたんですけど、その姿を見た時に“今の東出君がこの和雄だったら、めちゃくちゃハマるんじゃないかな”と感じたんです。彼の今持っている空気感が凄く何かをはらんでいて、その姿を傍で見たくなりました。だからこの映画をやりたい、この役をやりたい理由はいっぱいありました。

―― 斎藤久志監督が『37セカンズ』をご覧になって「この役は大東さんに是非」と仰った理由もなんとなくわかりました。大東駿介さん演じる研二は、心の調子が整わない和雄を柔らかく寄り添う絶妙な空気感を必要とする難しい役ですよね。友達だけど行き過ぎた行動は取らない、そのバランスをどのように演じられたのですか。

難しいですよね。自分は“考えないということは、どういうことだろう?”と考えていました(笑)とにかくその土地に、環境に在るひとにならないといけないと思っていました。無意識に起こる生理現象も止めないように、足が痒かったらかくし、汗をかいていたら拭く、言いたいことがあれば言うみたいにして、ただそこに生きる。それで監督に「アカン」と言われたら止めようと。とにかく自分が彼らと共に函館に居るという意識を繊細に大切にしようと思ってました。

―― 映画を観ている時、東出さん演じる和雄の空気感を見て研二は喋っているように見えました。研二は変に親身にならないような雰囲気をかもし出しながらも和雄を見ているみたいなというか。

この作品で意識したことは、小手先でやるとしょうもないことになりそうだから東出君との関係性をちゃんと築こうと凄く思ったんです。彼らと真摯に付き合って、彼らにとって居心地の良い人になれれば最高だなと、そしてそれをそのままレンズの前まで持っていこうという意識でいました。それに東出君には自分の役に専念してもらって、現場で起こる不具合は全部自分が解決しようと思っていました。監督と東出君の間で何かわだかまりがありそうなら自分が間に入る、そんな全てのつなぎ目みたいなものをニュートラルに出来る人でいようと思っていました。

―― 毎回思いますが、大東さんは人と人との繋がりを大事にされていますよね。

ちょうど撮影時、自分の心も凄く繊細なところにあったんです。悲しい事が多過ぎるからこそ“今映画を作れる”という希望、今は小さな種みたいなものかもしれないけど、それをドンドン膨らましたいと思っていました。普段なら言わないけど好きになれたから、東出君のことホンマに好きだし、奈緒ちゃんのことも好きだし、監督とこの作品をやれてホンマに良かったと口に出して言っていました。今、この映画が撮れているということがホンマに幸せやし、今は言ってもええんちゃう?と思っていました(笑)

―― それは大切な友達がお亡くなりになったことも関係しているのですか。

それもあるかも。悲しいこともたくさんあるし、嫌な情報がたくさん耳に入ってくるけど、周りに仲間が居ることや、当たり前やと思ってること、そんな些細なことをよくよく考えたらめちゃ幸せやなって思えることってたくさんあると思うんです。それを自分も理解し、かつ周りも共有したら得やと思うんですよね。

苦しみが自分の中で新たなエネルギーや力に変わることも当然あるけど、今はそれではなくもっともっと面白いものを見つけて、最高だと思うことを「最高!」と言っていいと思う。ひと昔前なら恥ずかしいと思うこともいっぱいやっていたかも。情熱ではなく、ホンマに自分の心が想ったことをフワッと出来たのが函館だったのかな(笑)