May 15, 2026 column

『スマッシング・マシーン』ドウェイン・ジョンソンが演じる“世界最強”の崩壊と再統合

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マーク・ケアーの闘争

マークはあらゆる場所で闘争を繰り広げている。リング上=試合中は対戦相手と戦い、プライベート=リング外ではドーンと戦う。PRIDEの開催地である東京では公的な戦いを、アリゾナ州の自宅では私的な戦いを。そして、ひとりの時間には自分自身と戦っているのだ。

パブリックな空間における自分と、プライベートな時間の自分。社会的な顔と、家族や友人、恋人だけに見せる顔。格闘家でありスーパースターとしてのマーク・ケアーと、そのプレッシャーに耐えきれない個人としてのマーク・ケアー。こうしたペルソナの分裂は、決して格闘技に詳しくない観客にとっても身近なものではないか。

なぜなら、人間は社会生活を営むなかで仮面をかぶりながら生き、その二重性にどこかで葛藤しているからだ。マーク・ケアーの場合は、その仮面がたまたま最強の格闘家だった。きっとドウェイン・ジョンソンの場合は、元レスラーの“ザ・ロック”であり、同じく最強のアクションスターだったのだ。

ザ・ロックとマーク・ケアー

『スマッシング・マシーン』の企画にドウェインがひかれたのは、長年のキャリアのなかで、自らもパブリックイメージに押し込まれている感覚があり、それを打ち破りたいという願望があったためだという。しかもドウェインはこの役柄を演じるにあたり、幼少期の体験や家族との関係を初めて演技に持ち込んだ。

ドウェインは本作での経験を、「恐ろしかったが、解放される体験だった」と語っている。この映画で描かれる二重性を、ドウェイン自身もまた、撮影のなかで身をもって経験したのだろう。そして観客にとっては、主人公マーク・ケアーがはらむ二重性と、主演俳優ドウェイン・ジョンソンがはらむ二重性が、そのままスクリーンのなかで重なることになる。

興味深いのは、サフディ兄弟の兄であるジョシュ・サフディによる映画『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』(2025)が、偶然か必然か、この映画といくつもの共通点をもっていることだ。“スポーツ映画”というフォーマットを利用した作劇、理想と現実の対照、そして日本での勝負……。

ただし、『マーティ・シュプリーム』でティモシー・シャラメが演じた主人公マーティ・マウザーは世界を目指す卓球選手で、夢をつかむため突っ走る男だった。これに対し、『スマッシング・マシーン』のマーク・ケアーは、すでに理想を叶えたあとの時間を苦しみながら生きている男。かたや夢見る男の情熱、かたや理想のあとの沈滞という熱量の違いが、作風の差となって表れている。

かくして『スマッシング・マシーン』は、あらゆる意味で引き裂かれてしまった“自分”というものをいかに統合するかという物語に着地する。この映画がきわめて巧みなのは、その“統合”の瞬間が、文字通り、彼の傷口が“縫い合わせられる”ときにやってくることだ。それもまた、やはりマーク・ケアーがリングの外にいる時間なのである。



文 / 稲垣貴俊

作品情報
映画『スマッシング・マシーン』

日本中を熱狂の渦に巻いた総合格闘技の祭典〈PRIDE〉の創成期にあたる1997年から2000年にかけて活躍した、伝説の格闘家マーク・ケアーの知られざる軌跡を描く。当時日本で“霊長類ヒト科最強”と謳われるほど、恵まれた体型に相応しい華やかな戦歴を誇り、キャリア絶頂期にあったケアー。しかし、やがて訪れたはじめての“敗北”が彼の人生に暗い影を落とす。

監督・脚本:ベニー・サフディ

出演:ドウェイン・ジョンソン、エミリー・ブラント、ライアン・ベイダー、バス・ルッテン、オレクサンドル・ウシク ほか

配給:ハピネットファントム・スタジオ

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公式HP smashingmachine