これぞ「今」の映像感覚
前作『search/サーチ』で監督・脚本を担当したアニーシュ・チャガンティ、共同脚本・制作を務めたセヴ・オハニアンは、今回はともに原案・製作に回り、プロジェクトの核心に新たなフィルムメーカーを起用した。抜擢されたのは、前作を編集したウィル・メリック&ニック・ジョンソン。ともに長編映画の監督・脚本家としてはデビュー作となる。
南カリフォルニア大学で映画を学んだメリック&ジョンソンは、以前からチャガンティ&オハニアンと親交の深い2人組。『search/サーチ』だけでなく、チャガンティの監督した前作『RUN/ラン』(2020)でも編集を務めており、その縁あって本作を手がけることになった。編集者としてのキャリアを築いてきたメリック&ジョンソンは、驚くべき編集的構築をもって、前作とは異なる新しい速度感を本作にもたらしている。
主人公のジューンはデバイスやアプリを自在に操り、InstagramやTikTokなどの映像SNSにもどっぷりと浸かっている世代。彼女が一つひとつの画面を見る速度、そこにある情報を認識する速度、そしてデバイスを操作する手際にもとづいて、この映画は基本的に展開していくことになる。監督の2人もTikTokなどの動画文化を参考にしたことを認めているように、そこにはさながらTikTokのごときハイスピード、おびただしい量の映像を次々にスワイプすることで世界を探ってゆく感覚があるのだ。それらを、新型コロナウイルス禍におけるテクノロジーの発展から生まれた感覚と言っても決して誤りではないだろう。
そもそも「スクリーンライフ」とは、カーソルの動きやテキスト入力など、“全編PC画面”の細部に見える情報や動きを通してストーリーを紡ぎ、登場人物の心理を描き出すのが大きな特徴だ。すなわち本作のスピード感は、ジューンがリアルタイムに感じている日常の速度、いわばジューンが生きている世界の速度とも言える。
いわば、この手法は一人称視点のストーリーテリングなのだ。“全編一人称映画”として話題をさらったアクション映画『ハードコア』(2015)にも実はよく似ている方法論だが、同作もティムール・ベクマンベトフがプロデュースした作品。映像表現とストーリーテラーの関係に、この作り手が強い関心を長年抱いてきたことがよくわかる。
そして、前作『search/サーチ』を手がけたアニーシュ・チャガンティも、一人称視点というスタイルにいち早くチャレンジしていた一人であることを忘れてはならない。彼がブレイクした短編映画『Seeds(原題)』(2014)は、スマートグラス「Google Glass」のみで撮影された正真正銘の“一人称映画”。本作をきっかけに、チャガンティはGoogleのもとで2年間コマーシャル映像の制作に携わることになった。
『Seeds』は妻の妊娠をインドの母親に知らせるべく、主人公の男性がアメリカからインドの故郷へと移動する様子を綴った約2分半の作品だ。チャガンティが自らGoogle Glassを着用し、14以上の都市を巡りながら撮影したものだが、現在のInstagramやTikTokなどに見られるVlogにも限りなく近い感性と映像的密度が2014年の時点で(しかも類まれなる完成度で)実現されていたことに改めて驚かされる。
そして、この『Seeds』を編集したのが『search/#サーチ2』の監督の一人であるウィル・メリックだった。映像のスピード感や、観る者が把握できる最低限の情報を最短で伝える編集技巧は本作にも通じるもの。共同監督のニック・ジョンソンとともに、こうした映像感覚をより現代的にアップデートしつつ、複雑かつ緊迫したストーリーを物語る方向へシフトしたのが本作なのである。